簡単な質疑応答:血液型と霊系団
ゼウス 2006年3月25日の霊言
ほんとうに君たちの話を聞いていると、実に愉快ですねえ。なに、血液型で、キリスト教系、仏教系? じゃあ我々ギリシャの、オリンポスの者たちはどうしたらいいんだね。
もう、そういうことはやめよう。血液型で、仏教系とかキリスト教系って言ったら、あなたたちの中で、過去、キリスト教に出て、仏教に出て、イスラム教に出て、日本神道に出た人たちは、ごちゃごちゃの血液型になっちゃうんじゃない?
そんなことはありえない。それは、また、そういうもので枠付けをしたがる人たちが勝手に言ったことで、そのようなものが、また新たな迷信をつくってしまうから、そんなことの呪縛から離れなさい。そんなものは、全く根拠のないことです。魂が生き通しで、永遠の転生の中で、様々な学びを得るために、あなた方は各国を、いろいろな時代を巡りながら転生して、魂にパーニャパラミタを、経験値というものを蓄えてきたんでしょう。
そういうふうに思ったのならば、そのような、どこに所属するから、血液型が決まったとかいうことはあり得ないということ。逆に言うと、それは私の世界から見たら、笑われるかも知れないけれど、神様も笑っちゃう迷信であると。「地上の者たちは迷信が好きだなあ。」というふうに思って、私は脇でさっきからおかしくて笑っていたんですけどね。
まあ、あの、気性というものはありまして、やはり、その自分の持っている気性というものが、いちばん現れやすい遺伝形質のところに出るということはあるかもしれません。だから、兄弟においても、同じ親から生まれても、血液型が違うじゃないですか。全然、違う血液型で出てくる。たとえば、A型とB型の両親だったら、何でもござれで生まれるとしたら、その中で、何でこの子はA型で、この子は何でB型で出て、何でこの子はAB型で出るか。それは、やっぱり、その子自体が、魂が持っている気性というものが、やっぱり、その、今、あなた方で言うと、その四パターンしかないかも知れないけど、その血液型の中において、活性化されるとしたのならば、どのような肉体の中に入った方が、自分の魂が自分らしく生きられるかということを考えて入るということはあります。
表現形として、自分のエネルギーの表現形として、その肉体に宿ったときに、その血液型というのが決まってくるということなのです。
もし、そうだったのならば、O型しか出ない家系であったのならば、O型のところの親に吸い寄せられて出てくるわけです。肉体を提供してもらうということも、そういう意味があるわけですから。
また、その親も同じような気性を持った親で、ひとつの、こう親子関係の約束を結ぶということもあるわけですから。そんな、血液型によって霊系団が決まるとか―――。
魂によって霊系団は決まるのです。いいですか。魂を学ぶために肉体があるんです。血液型があるから、あなた方の霊系団が決まるわけではないということ。
よろしいですか。何でもハートが、魂が先ですよ。愛が先ですよ。肉体はそのあとです。肉体は乗り物として、たまたま、今回、日本に出るから、どのような着物を着て出ようかと思う。
もし、アラスカのようなところに出るんだったら、寒いからやっぱり、分厚い毛皮のようなものを纏えるような肉体を持って出ようと思うじゃないですか。毛皮を着て出ようと思うじゃないですか。ね。
アフリカのようなところで、いつもいつも、裸同然で暮らせるようなところだったのならば、やっぱり、少しでも、あれでしょう、涼しいようなところの、パンツいっちょうで出られるようなところに出て行く、そのようなものしか用意してこない。
それは、やはり、それぞれの特性があるということ。出ようとするところ、修行の目的に応じて、その肉体の形質というものを選び、親子間というものも選んで出てくるということであって、修行が目的である。
魂がまず優先されて、その表現形として、その、たまたま、地上にある肉体を選んで来るというのが筋です。
ですから、地上の、肉体の特性に、その魂が入ったから、それで霊系団が決まるなんていうことは、ぜったいあり得ないということ。そのように思われてください。
2002年11月21日 ポセイドン 「神のかがり火を、高くかかげよ」
2005年06月02日 ポセイドン 「ただひたむきに生きよ」
2005年06月04日 ゼウス 「神理のたいまつをかかげ、雄々しく歩め」
2005年06月09日 ヘラ 「神と出会うための道しるべ」
2005年06月11日 ヘルメス 「愛の原理を基礎とした繁栄、発展」
2005年06月16日 アポロン 「愛の旋律を奏でよう」
2005年06月23日 アテネ 「戦いと知恵の女神として」