いちばん大事なのは認識力
モーリャ 2005年11月26日の霊言
我はモーゼなり。
今日、このような場にて、また再度話をできることを心より嬉しく思います。
いよいよレムリアも、今までの法理論から、世界に向けて、神の子たちを本来の神の子の使命に目覚めさせる時のために、あなた方が動き出す時がきたということ。
ここまで守り、かつ、我々の世界からのメッセージを、霊言を受け取り、書物にしていただいているということを、心から感謝申し上げたいと思います。
先ほどから聞かれているけれど、魔とのつき合い方というのは、いささか専門でもあるがゆえ、わたくしが今日出て参りました。
魔というのは、いつも申し上げますが、本人たちの心の持ちようが、こちらの世界のいかなる世界に同通するかにより、憑依という現象、そして、さまざまなこの三次元に映し出した事件というもの、心の状態というものを通して、現象というものを生み出しているものであるということ。そのことをあなた方は、よくお聞きおきでありましょう。
肉体的におけると、長い間憑依されているところ、霊的に長い間憑依されていると、やはり、病というものになってくる場合があります。
それと同時に、やはり事故というようなもの、一瞬にして若い生命が奪われた今回の事故におきましても、やはり何かしらのそういう魔の力というのが働いていて、多くの者たちがその犠牲になるというのが、今、テレビでニュースを賑わしているさまざまな事件というものを見れば、そのような事件が起きるような、そのような三次元の状態というもの、地下の者たちが安易にこの地上のエネルギーを操作して事件を起こすことができる。それほど、この三次元というのが地獄界に近い波動の今状態であるということを証していると思うのです。
事件というもの、事故というもの、そして、今、幼い子供たちが、そのターゲットになっています。いちばん幼い者たちを、まるでゴミかボロ雑巾のようにして命を奪っていく。そのようなことが立て続けに、事件だけではなくて事故も含めて数々のことが起きている。
そういうことが、どれだけ生きているおとなの者たちの心を痛め、悲しい思いにさせるか、不幸の種を蒔くかということをよく知っていて、そのような卑怯な手段に打って出ている地下の者たちの所業というのもあるのです。
そのことを思うと、やはり我々も早くこの三次元のマイナスの波動というものを浄化し、一刻も早く神の世の現れというものをこの地上仏国土に、地上ユートピアとして具現させていきたいものであると、心から願わずにはおられないのです。
もし、地下の者たちが暗躍し、この地上の者たちに何かをしようと思っていても、この三次元というものが、光の意識で、神の意識で人びとが生きていたのならば、その波動の中において、闇というのは光によってかき消され、けっして闇の者たちが力をふるうことなどはできないということなのです。 今見ていると、亡くなった方の多くの者たちが地獄にくるのです。
「天上界に帰ってこい」といくら言っても、この物質主義的なものの中で、肉体がすべてであるという考え方の中で、魂が永遠であると、本来は人間自体は霊性というもの、魂というものがある、それこそが本来の姿であるということを信じないがゆえに、生きているうちにそれを信じられなかった者たちが、死というものを通して、いきなりそこをわかれということはできない、無理な相談なのです。
だからひじょうに悩み苦しみ、そして迷いながら、私たちは精一杯の説得をして、上に上がってこられるときもあるけれども、上がってくることができず、地上にしがみつき自縛霊になる者、逆に心の針が地下に向き、地下に落ちていってしまう者たち、その者たちの数がひじょうに多いのが現代であるとも言えるのです。
ですから、あなた方の思いの中で、いかに神近き心、心の中に愛と優しさというもの、謙虚さというもの、神の子としての誇りとしての、自ら神の代弁者として、神の子として、どう人生を生きるかという、そのような心境というものをしっかりと生きているうちに学ぶということ。そのことがどれだけ、その本人の魂においても大事であるかということ。そのことを肝に銘じなくてはいけません。
いかなる者も、たとえ自分は宗教など信じないと言っている者であったとしても、無神論であると言っている者だとしても、肉体を持ち生まれてきた者は、100パーセント、みんな死んで我々の世界に帰ってくるのです。それにおいては例外はないのです。ひとりとて例外はない。そのときに死と向き合うのは、周りの人にいくら詭弁で言ったとしても、向き合うのは、本人自身がひとりで、神の子としての自らの神性と向き合うのです。
そこにおいて、どれだけこの地上において嘘やごまかしが効いたとしても、自らの心には嘘をつけないというように、その心、神の前に立ったときに、その心にはけっして嘘がつけない真実があぶり出されてくるということなのです。
ですから、生きているうちに、いつ神に見られても恥ずかしくない自分であると、そのような心掛けでぜひ生きていただきたい。
そして、今何ゆえに、このように九次元が立て続けに出てきて、根本法というものを降ろし続けるかということ、この一大救世運動が起きているかということを、あなた方は単に知識欲だけではなく、自らの心にしっかりと問いかけ、その法の根本を学ぶことにより、この地上界における神の子として、いかなる価値観により、人類はもう一度生まれ変わっていかなくてはいけないのかということを伝える義務があるということ。それが、あなた方の使命でもあるということ。我々の言葉を聴いた者たちであるのならば、その責任があるということ。そのことをぜひ思っていただきたいのです。
我々も命がけでこの計画のために皆頑張っているのです。あなた方もご苦労です。あなた方も一生懸命やってくださることを、わたくしたちはよく知っております。みんな見ております。でも、わたくしたちも一生懸命頑張っているのです。
あなた方が頑張ってくださって、もう一歩歩を進めてくださったら、こういう方たちとも会わせていこう、もう一歩出てきたのならば、世界にいるこういう光の天使たちとも連携させていこうと、すでにそのような者たちに覚悟を促しながら、今一生懸命裏で用意をしているのです。
地上にいる者たちによってでしか地上の改革というのは行われないのです。
アイデンティティーとして、計画としては、我々の世界から降ろしますけれども、やはり、肉体を持ち、三次元に降り立った者たちが、この三次元の改革をしていくのです。
それにおいて、あなた方の肉体を通して、我々があなた方の体を乗っ取ったり、憑依するような形で、あなた方のこの三次元を、神の意思だけで一方的に改革するということは、それはけっして許されていないのです。
そして、我々のメッセージをどのように受け入れ、どのように理解し、どのように行動していくか、それは何度も言うように、あなた方に与えられた絶大なる自由意志というものに守られ、あなた方がそれを拒否するも受け入れていくも、それはあなた方が決めていくことなのです。
でも、拒否されようと、疑われようと、我々は、我々の世界から語りかけることはやめません。語り続け、語り続け、そして、誰かの心に落ち、そして、その者たちが手を取り合い、励まし合い、この地上を変えてくれることに希望を託し、我々は毎日、日々の努力をしているのです。
三次元からの、地獄界への無限供給とも言わんばかりの、この頃の凄まじい地獄界に落ちる者たちの供給を止めない限り、地獄界の勢力はますます増大し、そしてもうこのバランス、地球レベルのプラスとマイナスのエネルギーのバランスというのが、もうすでにバランスを崩しているのです。そして、それを止めるために十次元からエネルギーをいただいているのは、もう知っているでしょう。
それをもって終わりにするのではなく、もうひといき頑張るために、時をいただくために、わたしたちは今、光のエネルギーを増幅していただいているのです。
それでもなおかつ、物質中心のものの考え方が根強くはびこり、地獄のエネルギーが増大し続けていくのならば、やはりこの、地獄界のエネルギーにより、この三次元というものが、破壊を、崩壊をしていってもしかたないのかもしれない。
それは神が望んだ破滅ではなく、人類自らが選び取り、自分たち自らで選んだ結果であるということ。
その意味において、神はけっして罰しはしないということ。
その天変地異においても、作用・反作用の法則による、あなた方、原因結果の法則による、自らが招いた結果であるということを考え、けっして神を恨んではいただきたくないと思うのであります。
それぐらい、三次元というもの、三次元を通して地下の勢力が広まり、そして天上界において、また三次元を縁として、天上界における天使たちの誕生というものもあるのです。
そう考えていくのならば、三次元という修行場がいかに大事なものであるかということ。そのことをあなた方は、もっともっと考えていただきたい。
三次元というのが、あらゆる次元を通して、我々九次元の者たちが、八次元の者たちが今、七次元の者たちが法を降ろすのも、メッセージを降ろすのも、地球を縦割りで光の法が知られていくということを、今、実現しようとしているのです。
地下にいる者たちも、遠巻きにしながら、この三次元のところで耳を澄まして聴いているのです。
救われたいと思う。でも、救われ、救われたいと思っても、どう救われてよいかわからないと思う者たちが、張りつくように、ガラスのようなものを、透明なものを通したように、でも三次元はのぞけるのです。そこを通しながら、一生懸命救われたくて、法がなんたるかを聴きたいと思っているのです。
その三次元に法を降ろすという意味は、そういう意味もあるということ。
この地上の者たちを救うだけではなく、地下の者たちもそれによって法というものに触れる縁を持たせ、そして天上界に引き上げていくという。そして地獄を縮小させていこうという、そういう目的があるということなのです。
そして、天上界にいる者たちにおいても、天上界も波長同通の世界であります。ですから、自分たちの世界だけに比較的安住しやすい、進歩発展がどうしても 、刺激的なものが少ないのも、また天上界の特色かもしれません。その反面、ゆったりと時が流れて、人びとは幸せな、牧歌的な思いで生きている世界が多いのです。
でもその世界、五次元、六次元と呼ばれている世界にも、九次元の者たちの、八次元の者たちの法というものがダイレクトに聴ける状況になっていき、そこで向上心を持ち、もっともっと上の世界に頑張っていこうと思う者たちが出てくるのです。
そうでなければ、やはり魂の停滞を生んでいる者たちもいるということです。 地下には落ちないけれども、けっして向上心は持たないと、言い訳をしている者たちもいるということです。
そして、七次元、六次元神界から七次元以降になりますと、逆に地上で法を説かれたとき、最も忙しくなるのはこの世界の者たちなのです。この世界の者たちが、地上にいる者たちの守護霊・指導霊、光の指導霊というのをだいたい買って出るのです。
そして地下の、地獄界にいる者たちでも、三次元で法が説かれたときに、以前、高橋信次、エル・ランティが呼ばれたときにでも、数々の転生輪廻とか、そういうことを一生懸命伝えていきました。それを脇で見ているのです、みんな。それを見ながら、菩提心を取り戻し、神の子としての本来の心を取り戻し、そして、強力な天上界からの光の援護を受けて、どんどん地獄界の者たちが天上界に上がっていったのです。
そういうときに、わたしのように地獄担当の者たちが、やはり光の天使たちが出て行って、一挙に地獄界の者たちを大量に天上界に引き上げていくということをするのです。
だから、三次元で法が説かれるということは、ありとあらゆる次元においての進化発展を促すということ。それだけの意味があるということ。
だから、このだいたい二千年を周期とした文明の中で、要所要所に九次元という者が降りて根本法を説き、段階的に救世運動というものをこちらの世界で計画していくのは、そういうことなのです。
でも今回のことは、これをクライマックスをもって、どういう結果が出るか、その事実を我々は静かに受け入れようと思います。
それまでは、死にもの狂いで努力をする。そのように天上界一貫として、皆が力を合わせてこの救世のために、計画のために頑張ろうという、その不退転の境地だけは持っているつもりなのです。
(中略)
本来の世界は、地下の世界も含めて、実在界と呼ばれている我々の世界があるということ。そしてそれこそが、この地上の本来の生きる意味であるということ。どのように人生を重ねていったのならば、我々の世界に帰ってこられるかということを真に学ぶということ。
それを新たな価値観で、新たな観点から人びとに提示し、気楽に、気軽にそれを人びとの話し合いの中で、教育や家庭の中で話し合っていけるような、そういう世界を実現していかなくてはなりません。
霊性の世界に目覚めていくことを持たなければ、この人類の文明はもうどん詰まりに行ってしまうのです。次なる発展はないということなのです。
そのことを思い、今、大いなる九次元の法が降りているということは、それを学ぶチャンスを、この三次元だけではなく、あらゆる霊界の者たちが今学ぶチャンスを与えられたのだということを申しました。
まず学ぶのです。それは認識力というものを広くさせるのです。
先ほど、都心にいる者と地方にいる者たち、そして、今どこの宗教団体にいても幸せそうにしている者たちがいるのならば、それはどうしたらいいのかという質問がありました。
それは、その方たちがほんとうの意味で現実を見ていて、どれだけ情報量が少ないということはあるけれども、ほんとうの意味で認識力があったのなら、何かがおかしいという違和感というのは必ず持っているはずなのです。
それは、知で判断するのではなく 、知で判断するだけならば知識量というものがあります。でも、心の中で、神の子の心の感性で見てたら、これはおかしいのではないかと、必ずや女性の方であるのならば、もっとそれを感じるチャンスはあるはずなのです。
それをわかっていてもわからないふりをする。わからないと自分で思い込みたい。耳をふさぎたい。そう思うのであるのならば、そのような陽だまりのぬくぬくとしたところでいるのも良いかもしれない。
でも、その認識力の甘さが、見識の低さが、その者たちの人生のその後の結果をしっかりと位置づけるのです。
多くの人びとを不幸にし、多くの者から金を巻き上げている教祖がいるところが、ほんとうのメシアであるわけがないのです。
そんな判断もあなたはつかなかったのかということを、こちらの世界にきてから問われるのです。 だからいちばん大事なのは認識力なのです。
その認識力をしっかりとつけるために、我々はこうやって霊言を送り、根本法を降ろしているのです。
多くの世界の人類は、魂が永遠である、転生輪廻を知らない者たちもいるということは、その判断材料として、認識力や見識を磨くその手段もまだ、知識も持っていないということが多いのです。
ですから、それをしっかりと伝えて、その上であとは一人ひとりの努力、逃げ出さない、正面から勇気を持って、実際の自分の人生と向き合うという、その誠実な情熱によって、一人ひとりの魂が、その認識力というもの、魂の器を広げていくということ、そのことを学んでいくのです。
それが、永遠の魂を通して、永遠の時の流れを通して、神の子、魂が、人類が、学んでいく意味でもあるのです。存在理由でもあるのです。
そのことを思い、永遠の転生の中で、地球での転生が終わったのなら、その方の身の丈に合ったまた別の惑星での転生もあるでしょう。そうやりながら、永遠の階段を、魂の進化の階梯というものを上がっていくのです。
あなた方はそうやって上がっていくという、そのように高め合うということを考えたのなら、目先のことを苦しみ、差別、偏見などというのはひじょうにちっぽけなものであるという観点がわかってこられるはずなのです。その認識力がついてこられるはずなのです。
我々の世界は目に見えない、ある意味で物質を伴わない世界ですから、逆に言うと認識力だけの世界かもしれません。
愛というもので、全身全霊をもって、多くの人々を愛そうという、インマヌエル、イエス・キリストのような、愛の化身のような認識の方には、その方のまわりに愛というものが光とともに存在しているのです。
あの方自体が、そのような、自らは愛の奔流とならなくてはいけない、愛として生きていきたいと、それを心から情熱的に求められている、愛の化身であるからこそ 。それはなぜか。自分自身に対して、神の子の存在理由は愛そのものであるという認識をお持ちになるからなのです。そうすると、愛そのものになられるのです。
だから、今地上にいるうち、肉体を持っているうちに、そのような認識力というのを学んでいただきたいのです。
よいですか。肉体にあるうちは、いいほうにも認識力は出ますけど、間違った方向にも認識力というのは出るのです。
もし、肉体がなければ 。地獄的な思いを持つこともあるでしょう、人間であるから。欲望丸出しになって野獣のように思うこともあるでしょう。そのときに肉体がないのなら歯止めがきかないのです。野獣のようになるのです。畜生道のようになるのです。
でも、肉体があればこそ、天使にもなれれば、悪魔のように、一念三千の世界に同通しながらも、自らの心の統御というものを通して、トータルに自分の魂のバランスをとることができるのです。
それぐらい、この三次元での肉体を通しての修行というのはありがたいことであるということです。 だから、あなた方が一つひとつのことを、学びを通しながら、肉体という歯止めを通しながら、自らの認識力を愛の方向に開いていくということ、高めていくということ。そのために我々は根本法というものを、法というものを一生懸命降ろしている。
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