神の子の愛の光に火を灯せ
モーゼ 2006年4月22日の霊言
そなたたちもいろいろと気づいていると思うが、これからレムリアの流れ、使命の方針が変わっていくということ。そのことを私はあなた方に伝えたいと思う。
今まで霊言を取り、今回の救世の計画の変更と、また第三の計画の本来のあり方というものを地上に示してきたわけだけども、これから、そのそなたたちが編集してくださった、その法というもの、我々のメッセージをもって、世界中の神の子たちに伝えていく、そういう号令が下ったときであると理解して頂きたいと思います。
かつての団体において、やはりそういう大伝道期というようなことがあったと思うけれど、それと方針としては、天上界においての方針としては同じものであるけれども、でもレムリアとかつての団体とでは明らかに種類が違うということを、そなたたちは理解していただきたいと思う。決して、むりやり会員を増やしたり、売り上げや収益を上げるために数々の物を売ったりとか、そういうことではなく、純粋に、天上界からのメッセージというものを、地球の人々に伝えていくということをもって、レムリアの使命としていただきたいのである。
もう地球が今、最終的な土壇場の時にきているということ。そのことを再三我々は伝えてきた。そして今、時を稼ぎながら、この第三の計画を発動し、そして地球の神の子たちに対するメッセージというものを、そなたたちに編集していただいてきました。一冊でも多く書籍を出し、そしてそれをもって日本の、世界の人々に向かって発信していく。そういう時がやってきたということを、認識していただきたいのです。
この土壇場の時、人類はどちらの道を選択し、どのような計画、結果を生み出していくのか。それがこれから問われる時代なのです。
我々のメッセージをただ一方的に受け入れて、地上の者たちが天上界のなすがままになる、そのようなことが地上の学びの場であるわけがなく、我々が伝えたメッセージを、今度は地球の神の子たちがどのように受け入れて、どのように推し進めていくか、それでこれからのこの地球の命運が変わってくるということ。
その時期が来たということなのです。
我々は精一杯この者を使って、天上界からのメッセージを伝えてきました。それをもって、あなた方がどのように多くの者たちに伝えてくださるか。そしてそれを書籍でも、既に本屋さんに並んでいるのに、それをもって無視し続けるのか、それともそれを本来の学びの糧として、人類の宝として受け入れていく人類の姿があるのか。そこが我々にとっても手出しの出来ぬ地上の者たちの、ひとつの試練の場所であると思うのです。
かつて他の惑星においても、このような時期というのが平等に来ているのです。試練の前に、このような天上界からのメッセージというのが起きて、同じようなことを我々のような救世主界というところから計画し、降ろしていく。その時に、この最後、土壇場になったときに、どのような指導者が出るか、そしてどのような指導者に地球人類がついていくかをもって、大体その星の命運というのが決まっている。
それはまず最初に、ひとつの軍事的英雄が出るタイプ。軍事力をもってひとつの神の正義、JUSTICE(ジャスティス)というものが多くの人々に受け入れられて、そして自分たちこそが神を代表するものであると、軍事力をもって人々を支配していこうと思うタイプに人々がついていこうとするか。
もうひとつは、神の子として、神の愛というものを説き続けることをもって人類に、その星の人々に神の子であるという霊的な目覚めというものを通して、地球の人々に、心の精神的な意味での愛の革命を起こさせることによって、地球というものを、その惑星というものを神の星にシフトアップしていこうとする指導者が出るか。
だいたい、その二つのタイプが出てくるのです。まがいものはたくさんいつの時代でも出るけれども、大体その大きな二つの流れがあるのです。そしてそれは、どちらもが、天上界より降ろされている流れでもあるのです。それに対してその惑星の、地球なら地球の人類が、どちらについていこうとするか、それを選び取るか、それによって結果が変わってくるということです。
どんだけ兵器を持ち、核を持ち、力でもって人の心を支配しようとしても、力でもって神の正義というものを代弁しようとしても、人の心はついてこないし、そういうもので地球が統一され、統合され、次の段階に行けるような、愛豊かな、調和と慈悲に満ちた愛の星にすることは不可能であるということ。ひじょうに遠回りのように思うかもしれないけれども、神の子であるという共通理念に訴えかけて、神の子である愛の思いという、すべての者たちの心の中に眠っている愛の思いというもの、そこにしっかりと目覚めるように訴えかけ、その惑星の者たちを神の子という共通認識、共通価値観のもとでまとめあげていく、そういう道を示せるのが、本来の救世主と言われる者たちなのである。
その後者の場合に、エル・カンタラーはK会というものを使って、世界の地球人類をまとめ上げようとご計画なさったわけである。それをやるために、救世主界から降りてこられたというのが現状なのです。
そして今、立ち消えかけたこの計画が、第三の計画によって引き継がれたということは、あなた方がどちらの立場によって世界人類を救っていかなくてはいけないかということは、自(おの)ずとわかるであろう。
そなたたちが九次元の代弁者となり、エル・カンタラーがやりたかったことを、夢を、意志をついでいくということは、どのようなことをしなくてはいけないか。
そしてそれを提示することによって、その結果における責任は、そなたたちにはないということ。そなたたちが精一杯頑張られたのであるのならば、それを受け入れる、受け入れられないということは、世界の人々がどのような精神状態で、何をもって最大の価値観として最終的に選び取ったかということによって、地球の今後の命運というのは決まるということなのです。
過去の歴史において、私がユダヤの者、ユダヤ教と呼ばれる源流の元になりました。イスラエルの民をエジプトの地から導きだし、カナンの地へ連れていった。それがユダヤ教というものの流れの源流になっているのです。
それからイエス・キリスト、インマヌエルが、キリスト教の源流というのをつくりました。
マホメットがいるところで、やはりイスラム教というものができてきた。
それはそれで、ひとつの宗教の、ローカルな宗教の中で、多くの価値観の中で民族的な背景、歴史的な背景の中で、ひとつの必然の流れの中で説かれた法なのです。
でも、わが律法は今日(こんにち)にはもう通用せず、そしてそのような個々に分かれた価値観、個々に分かれた民族的背景、正義というものがバラバラに共存しているのが、現在の地球なのです。それがバラバラにあるがゆえに、その自分たちの正義が、小さな正義がたくさん存在することにより、自分たちの信仰感、正義というものを主張するがゆえに戦争が起きているのです。
それを一度、どんな民族であれ、どんな宗教であれ、大きなひとつの統一された価値観により、共通の認識された価値観により、地球人類をまとめあげなくては、地球というものがひとつの惑星として、地球人類としてひとつになれないということなのです。
そのためには、キーワードは「神の子である」ということ。
神の子であるということは、愛の魂を持った、愛を湛(たた)えた神の子たちである、そういう自分であるということ。
永遠の転生(てんしょう)をしている、さまざまな民族を、さまざまな宗教の中を、永遠の転生輪廻の中で生き抜いてきた、そういう自分たちであるということをほんとうに理解したのならば、つまらぬ戦争などをしなくても、ほんとうに人類が理解したときには、宗教間の争いというのは馬鹿馬鹿しくなって消えていくのです。その共通認識をもって統合しなくては、地球人類がひとつになるということは不可能なのです。
彼らには彼らなりの言い分があるということです。歴史的な背景、宗教的な背景があるのです。
でも、もうそのような小さな価値観の中に人類が閉じ込められていがみあう時代は終わりを告げるということを、以前から私たちは伝えてきているはずなのです。それをもっと前面に出さなくてはなりません。
そしてその、心の闇の中にある小さな小さな正義の中の争いによって、人類は最終的に宗教戦争によって、自分たちがつくり出した科学兵器によって滅びていかんとしているのです。
それを自分たちがやった因果の応報であると、そのように受け取るのか。
それともそこから抜け出て、天上界から明かされた本来の神の子であるという愛のメッセージの中で、自らの中に眠る愛というものに目覚めて、愛のエネルギーを発動して、宇宙時代を築く、地球時代から宇宙時代へと変わっていく、そういう姿に成長し、発展し、生まれ変わっていくことができるのか。
それが今、問われている大事な大事なターニングポイントであるということなのです。
そなたたちは、それをもっと伝えなくてはいけない。
本来であるのならば、九次元の者が降りていって、前面に立って、語って世界中を行脚しながら、救世主ここに立てりということを、地球規模の中でアピールしなくてはいけないときであるのです。それをやるはずであったということなのです。
でもそれが出来ぬ今、今は逆にこういうネット社会というのがあるから、書籍を通して伝道していただきたいと思います。
自分たちだけが霊言を聴いて喜び、自分たちだけがその中でマニアのようになっているのではなくて、神から与えられた使命、そして神の、天上界から与えられたこのメッセージをもって、地球の神の子たちに知らしむるために、神の愛を分かちあうために、そなたたちは活動していただきたいと思います。そなたたちももう、一度なり、二度なりの挫折を繰り返し、宗教団体で嫌な思いをしてきている方々が多いと思う。だから「伝道」と言うとアレルギーになるという、そういう方がいてもしょうがないと思うのです。それはよくわかる。
でもだからこそ、もう後がない、そなたたちの第三の計画であるということを、どうか理解していただきたいと思うのです。
やるべきことは、キリスト教の時代でも同じであった。インマヌエルのたった三年半の活動が、その後世界中を席巻し、世界中の人類を永遠とつくり続けたのは、その過程に死ぬ気で命を張って伝えてくれた宣教師たちの姿が、宗教を、キリスト教の宣教師や修道女たちの姿があればこそ、命がけの活動があればこそ、インマヌエルの言葉が世界中に伝わったのです。それをもって人類は救われ続けているのが現状であると思うのです。それを思うのならば、法というものは降りた後、やはり多くの方々のもとに命がけになって伝えねばなりません。
あなた方の中においても、かつて十字架につけられても、辺境の地に流れついてでも、命がけで、言葉も分からぬ国にバイブルひとつを持ち、愛の言葉を、キリストの言葉を伝えに頑張られた方々がおられるのです。そのときのことを考えるのならば、命を懸け、ほんとうに生命の危機にさらされながらでも、その伝道ということをやってこられた。それから見たら、あなた方の時代はたとえ少々のことを言っても、殺されたり、焼き討ちにあったりとか、そういうこともない時代なのです。そういう時代から見たら、とても恵まれている時代であるということです。
そのことを思い、あなたたちがこれから世界伝道に向けて、神の言葉を我々のメッセージを伝えていく、あらゆる手だてを発動していただきたいと思います。
我々が一から十まで全部指示しない、と思われるかもしれない。
でも地上にいる方々に伝えたいのは、すべて答えを与えられるわけではないということを、もっともっと自立してものを考える力を養っていただきたいということなのです。
もし、すべて答えが与えられるのが霊言であり、天上界の指導であるとするのならば、なぜO氏は間違っていったのか。
なぜ高橋信次の過去世認定は間違っていったのか。
それはすべて答えを与えられず、彼らであっても、必死に地上において苦しみながらも答えを求める、答えを要求されるというプロセスがあったということを指しているのです。
あなた方も一から全部、十まで全部、答えを与えられないと不満気に思うかもしれない。何でも天上界に聞けばいいと思うかもしれない。
大事な核心的なところは伝えるけれども、それを理解し、判断し、地上の者たちの努力と工夫により、世界中の方々にこのメッセージを伝えていく、神の使徒のメンバーとしての仕事をなしていく、貢献をしていくという、そのことをそなたたちの使命としていただき、厳しく厳しく自分の中でこれからがんばっていただきたいと思うのです。
人類の中において、我らの言葉をこう簡単に、しばしば聞くということは、これからの転生の中においても、そなたたちはそうないと私は思います。
かつてなかったのです。
かつてこのような公開された場所で、我々は地上の者たちにメッセージを送ったことはなかったということです。それを聴けているそなたたちが、いかに魂の中に、深い思い出として刻み込まれるか、それであるのならば、その後死に物狂いで、その神の計画のために、自分も頑張ったのだという、充足した思いを記憶に持て、記念として持てるような、そのような地上生命の活動の仕方というものをそなたたちに期待したいと思うのです。
歴史の中において、明治維新を行った坂本竜馬たちのように、時代の端境期というものがあります。
今はまさに古い今までの体質から、新たな、地球規模から地球規模の、宇宙時代への幕開けという大きな流れが、二つの流れがぶつかり合っている時代なのです。
今までの本来の体質、物質文明中心で来た流れから、これからは地球人類がみな神の子であるという、その自覚に基づいた、宇宙を見据えた上での地球、神の子の一体化した共通価値観の中における、新たな霊文明の発展というものを通した、神の子たちの生まれ変わっていく姿。
それはもう一度、自分たちが神の子であった、と。
愛のエネルギーの一部であった、と。
最初からそうであったのだと再認識し、気付いていく。そういう生まれ変わっていく、再生していくルネッサンスのその時を迎えるということ。
その時に、血は流れることはない。
戦争、力によって支配し、軍事兵器をもってこのような革命が起きるのではない。
あくまでも、心の中における精神革命であるということ。
それを人類が選び取ることができるか。その価値観を持つことができるか。
それが、人類に課せられた最終的な課題でもあるのです。
それをエル・カンタラーが指し示しきった上で、人類が失敗したのならば、違う方を選び取ったのであるのならば、我々は第三の計画を発動しなかったのです。指し示しきることがなく、人類に対してその課題を提示することなく、途中で挫折してしまったから、我々、あなた方、第三の計画を発動し、人類にこのメッセージを、この価値観を提示するという、そこまでが救世主の仕事であったということなのです。
でも、それを力の限りに伝えていく、パワフルに伝えていくということは、大切な大切な仕事であります。そしてあなた方の頑張り方次第によっては、エル・カンタラーもなされなかったような、大きな地球規模の、ほんとうに地球人類の神の子たちが、根底からみんなで草の根から手を取り合って、一致団結して、この地球を守るために、地球時代の将来をつくっていくために、生まれ変わり立ち上っていく、感動的な、劇的な瞬間を迎える、そういう可能性もあるということなのです。
戦争により、力により、支配をしていく。それが神の、神の代弁者としての正義ある姿であると、もし、言うのであるのならば、それは、答えはどうなのかということを人類に問うているわけです。力で支配するということ。そのようなことは、何も内側から満足した結果というものは導き出せないということ。あなた方はもっと認め、学ばなくてはなりません。
これから多くのことが起きるでしょう。
でも、命をかけて大改革をしていくのは、あなた方の次の世代の若い子たちの世代にあります。
その彼らに引き継ぐのが、レムリアの仕事でもあります。
本来曲がってしまった法を整え、そして我々のメッセージ、そしてこの第三の、第三のというか今回の救世の大計画というものの全容、概要というものを地上の者たちに提示し、伝え、そして新たな価値観をしっかりと、正しい価値観を伝えていく。伝道していく。
そのごちそうを地球の神の子たちに示したらば、後は地球人類の者たちがどちらを選び取っていこうとするか、その先駆者としてあなた方がその模範を見せていかなくてはなりません。
このように神のメッセージを聴いた者たちが、どのように感動的な神の使者としての生き方ができるか。それを多くの人々は見ていると思います。
あなた方の生き様を見て、多くの者たちは、ここにこそ神があり、神の使者ここにありと感動するような、そのような生き様をしていただきたいのです。それは決して、もうお坊さんや、修道士や修道女であるということではなくて、あなた方が普通の当たり前の地球人として、バランスある生活をしながら、そこにおいても普通の生活をしながら、そこに神の子としての、神の使者として、普通の当たり前の姿の中に、神性というのを宿した愛豊かな生き方ができるということ。
あなた方のそれぞれの個性を通して、生き様として見せていただく。その姿に感動して仲間が集まってくるということです。
これからの宗教団体、という言い方を言ったら嫌かもしれないけども、世界に対する大伝道期というものがきます。それは無理な会員数を増やしたり、無理な勧誘を行っていくのではなくて、多くの人々に愛の言葉を伝えていく。ただただ無心に、無私な思いで伝えていく。そのチャンスを少しでも多く提供していくという、その姿なのです。お金をそれで儲けようとするのではなく、そして多くの人々に対して、少しでもこの我々の、天上界の言葉というのを聞いていただくことは、自分の喜びとしてお伝えしていくような、その姿があれば、数で縛られるわけでもなく、多くの団体がやっているように信者数や建物やビルや、そういうものを維持するために金をかき集めるというわけでもなければ、純粋に純粋に、神の言葉を伝えていくということに喜びを持てるはずなのです。
その姿をもって、多くの方々が集まってくるということ。
そういう段階がくるということです。
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