メッセージ
我にとって愛とは、信仰とは、実行あるのみである。
一人でも多くの者たちを幸せにしてこそ、愛してこそ、多くの人びとに神の御心を伝えられてこそ、我はその、神の使者としての使命があると心から思っている。
実行なき者、どれだけ頭が良くても、その時代の知に酔っている者などは、我は、神の子としては、神の使者としては認めぬ。そのような臆病者はいかん。
そのような中に数々の、我々のように実践に継ぐ実践の中で、真の勇気とは、叡智とは、神とつながるということはどういうことかということを、体をもって学ぶ。
法力というものは、間違った方向に使えば、すぐその場で反作用として体にぶつかってくる。だから我々の中においては、自分が何が正しかったか、正しくなかったかを、体の中で即、反応の中において学ぶことができるのである。それが我らが階段を上って行くための、修行の方法である。
知に酔っているときは、ぐるぐる、ぐるぐる回っていても、それがほんとうに正しいか、間違っているかわからぬものである。で、いつの間にか正しかったような、自分がまるですべてをわかったような、世界中の叡智を知ってしまったかのような錯覚に陥るのである。
でも、そのような道は我らはとらぬ。実践あるのみ。正しいものは正しい。原因結果の法則によって、正しい思いを出せば正しい結果として、他の誰よりも何倍として返ってくる。間違った結果を出せば、我が身の苦しさとなってすぐ反応が戻ってくる。
それをもって我らは道を這い上がって来た。そして、この国土というものを少しでも、伝道という形は使わなくとも、一人でも多くの神の子たちを幸せにするために、この国を幸せな国にしていくために、統一していくために、その力を使うために、国というものを平定し、広げてきた。それが荒神と呼ばれている、戦(いくさ)の神と呼ばれている、自由の神と呼ばれている者たちとの、我々の仕事の役割であるということ。
そなたたちは、そのようなフロンティア精神、開拓精神の名において、これから神より与えられし、素晴らしい叡智を、メッセージを、この地上に広めねばならぬ。その厳しさを持ってほしい。不退転の境地を持ってほしい。
次の世代の者たちが出てくる前に、そなたたちにもそのような開拓者としての気持ちがなくては、次の世代の者たちに、ここに光があるのだということが伝わらんではないか。
伝えていくためにも、そなたたち自らが光りなさい。
光り輝き、輝いて自己限定することなく、どこまでも高く高く、のろしの光を、のろしの火を、たいまつを掲げなさい。
そのようにすれば、次の時代に生まれて来た者たちが、その光を求めて集って来ることができ、そして、彼らの使命を果たしていくことができるであろう。
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