命をきらめかせ、輝かせ、一瞬一瞬を勝負していけ
須佐之男命 2006年10月7日の霊言
大きな時代の転換期の中で、常に時代というものは、英雄と呼ばれてきた男たちの手により展開されてきたように思う。そういう時代の節目、世界中の時代の節目の中に活躍をした者たちは、必ずや彼ら自体の力以上のバックアップというものを得て、その力を呼び込んで、一時代を築きあげて、たたき上げていくのである。
そなたたちの中には、このようなことをする役割がある者がまだ少ないかもしれないけれども、仏教関係の者たち、キリスト教関係の者たち、法を預かる、法を編纂する方たちが多いかもしれない。
でも、わたしは言っておく。これからレムリアに来る者たち、そして次の時代に集って来る者たちに言っておく。
そなたたちが、今この者たちが降ろして編纂しているレムリアの霊言の中にある、神法、神の法というものを地上に打ち立てていく時、神の国をつくっていく時、今わたしが言った力を引き出していける男たちがそのうち集まって来るであろう。
そなたたちの時代を、力を吸い上げ、そなたたちが力を合わせることによって、次の激動の男性たちの時代がまた繰り広げられていくのである。
ひとりで生きていると思うな。ひとりだけで、自分だけですべてがなせると思うな。依存心はもってのほかであるが、多くの者たちの協力により、神の導きにより、大自然の協力あってこそ、そなたの力も、魂の力も引き出され、炸裂するのであるという、多くの者たちに守られているからこそ、そなたたちが力を発揮できるのであるという、その言葉、その心境だけはくれぐれも忘れないことである。
その思いがあれば、多少、力任せなことをしようと、押しの強いことをしようと、法力を使おうと、それはけっして間違ったものにはならぬ。多くの人びとを幸せにし、神の愛に報いるために、我が身を捨て、我が人生を捨て、できることを探していく。
次の時代に来る政治家たちよ。
経済を動かしていく者たちよ。
学問、教育の分野を立て直していく者たちよ。
明治維新と呼ばれている時代に、憲法も含め、社会の根底から理念が変わっていった。
新たな「宇宙時代」と呼ばれている神の国の幕開けをするには、憲法というものの代わりに、神法と呼ばれている、神の国の理念というものが中心になり、国家が再編成されていくことであろう。
その時は、やはり自らの国、一国にこだわり、自らの宗教にこだわり、自らの概念、思想にとらわれ、あちこちでぶつかり合いもあるかもしれぬ。
でも、心を揺らすことなく、大いなる神の国の実現、神の御心の中に存在する、本来の神の国ユートピア実現のために、そなたたちは向かうべきしっかりとした夢と、ヴィジョンというものを共有しなくてはならない。
全部同じである必要はないが、やはり皆が共通の、「ああこれこそが、この方向こそが、間違いなく多くの人びとを幸せにする本来の地球のあり方であり、神の子としてのあり方であるのだ」と、それがいちばん神もお喜びになり、わたしたちもいちばん幸せで喜べる姿なのであると、そのことを深く認識していかなくては、この地球の未来に神の子、我々の幸せな姿はないのであると、そのように思っていただきたいと思う。
時代の先の中において、いつか、「そんな激動の時代もあった」と、わたしが出ていた時代も神話の、かつての時代であったと、その荒ぶれたところだけが言い残され、語り継がれ、その姿は見失っているかもしれぬが、ほんとうの意味で神の法が降りた時、捨て身で生きる男たちの生きざまがあったということ。それがひとつの時代の頂点を、ひとつの時代の新たなエネルギーとして、社会を根底から変えていったのであるということ。
それこそがほんとうの意味での、男性霊としてつくられた神の御意志がかなう道であると、わたしはそう思っている。
男性であっても、確かにさまざまな役割があるのはわかっている。しかし、わたしが担当しているところは、国家の根底を、新たな時代の前ぶれをつくるところにいるから、このような表現になる。
新たな社会を、新たな神の国としての価値観の国家をつくっていくのであるのならば、それは暴力ではなく、戦争ではなく、核兵器とかではなく、ほんとうの意味での、今までの既成概念、こうあるべしという、そなたたちの中では常識と呼ばれていること、それの破壊から始まるのが必要なのかもしれぬ。
言い方がきつく思うかもしれぬが、ほんとうにそなたたちが抱えている、正しさの価値観というものを、世間でいう常識というものを、こうあらねばならぬというものは、ほんとうに必要であるかという、もう一度点検をしてごらんなさい。
もっと幸せに生きるということ 、幸せに生きるとは、自分だけがいいということではなく、多くの者たちと幸せにともに共存して生きる道であるという、その認識に至ったのならば、至れるのであるのならば、そなたたちがやるべき道はおのずと決まってくる。その中において、自らの個性と能力により、やれることはいくらでも探していけるものである。
地球に住まう者たちがその認識のもとで、やれることを日常生活の中で始めていったのならば、地球はどれだけ多くのパワーを発揮することであろう。
まず大切なのは「思い」。思いの中における「理想」と「夢」。
そう言うと、あまりにも架空なもののように思うかもしれないが、高い高い理想と、熱き情熱と、気高い夢、それを皆で見ることである。
その方向に向かって、どんなに蔑(さげす)まれようと、どんなに嘲笑を受けようと、批判を受けようと、その一度つかんだ夢と理想を手放さず、それを黙々とそなたたちの人生の中で行動することが、それこそがいちばん大切なことであるとわたしは思う。
今の時代の者たちは、有り余るほどの物質と、有り余るほどの便利さの中で、豊かさに恵まれながら、何を腑抜けたことをしているのかと、怒りすら感じる。
そなたたちの人生はそんなものであってよいのか。
そのように怠惰に、貪るためだけに生まれてきたのか。
この時代の中において、いつの時代においてもそうであるが、特にこの時代の日本において、エネルギーと時間を持て余し、人生の意味も問うことなく、無為に過ごしている者たちよ。そなたたちの中に、ニートとか、オタクとか呼ばれている者たちがたくさんいるのも知っている。働く気力も持たぬ者たちが、年老いた父や母に依存し、働かず、周りに迷惑をかけ、ぜいたくのし放題をしながら、自分の小さな小さな世界の中で時を貪り、暇つぶしをしているのかもしれぬ。そんなことであっていいのかと、そなたたちは自分に問いかける力すら、もうすでに失くした無気力な状態であろう。
でも、そなたたちは気づかねばならない。そなたたちの中に、まだまだ隠された並外れた力が眠っているということ。もう一度自らの人生を、多くの人びとと共有し、多くの人びとの幸せのために勝負して生きてみようと思う者たちが出てくれることをわたしは望んでいる。
その者たちが力を合わせていった時、この日本は変わっていく。働くべき者たちが働かなくては、国家は衰退していく。男たちが、「男である」というその誇りを忘れ、その気概を失くし、女たちが、「女性である」という、その母性と優しさを捨てていき、子どもを産むことを拒否し、男性と女性がともに歩み、手と手を取り合うという、その男女和合の姿がなくなっていった時、必ずや国家は衰退し、国は滅ぶ。
地球の未来を考えるのであるのならば、まずそなたたちの日頃の人生から、生きざまから、よくよく考えていきなさい。
あなた方には多くの仲間がおり、このレムリアだけではなく、この日本が、世界が、あなた方の家族である。その家族を愛するため、愛する仲間たちを守っていくために、この地球を、地球規模で再建していくという、大いなる試みが今実行されようとしている。「地球維新」という言葉を聞いたが、わたしから見たのならば、新たな地球の歴史の草創期、新たな宇宙時代に向けての幕開けの時を、そなたたちは建国しなくてはならない。その時は、我が身のことは振り捨てて、この道をひたすらに、信じた道を生き続けてほしい。そうでなくては、地球には未来は訪れないことであろう。少なくとも今回の計画は失敗に終わってしまう。地球自体を神の国にしていくということは、けっして神の心を優先し、あなた方をないがしろにし、神のご機嫌とりばかりをする道ではないのである。無私な思いで、互いに助け合い、愛に満ちた慈しみ合いの中で、我がことのように周りにいる者たちを心配し合う、そのような社会が神の御心であり、そしてそれこそが地上に住まうあなた方を幸せにしていく道であるのだと、空理空論であると思うことなかれ。そのような道の先にこそ、人類の未来も地球の未来もあるのである。
そのために、どうか命がけになってこの時代をつくり、乗り越えてほしい。この者も日本神道のエネルギーを多少受けた者であったが、今回も、かつてのあなた方の仲間が亡くなったようであるが、どうだ、いつまでも肉体は、そなたたちの肉体は永遠にあるのではないということ。まだ若いと思っているであろうが、我々の世界から見たら、彼にしても、あなたたちにしても、早かれ遅かれ帰ってくるのであると、ほんとうに肉体を持ち、地上で仕事をできる時代というのは一瞬の時であると、こちらに帰って来た永遠の時から見たらば、どれだけ短い時代を、時間を、今、地上であなた方が生きているか、かけがえのない大切な大切な宝物のように、貴重な時をあなた方は生きている。
どうかその時を無駄にせず、それを単なる自己満足に使うのではなく、自分が生まれてきたということが、多くの人びとを幸せにしていく道につながるような生き方を、各自が発見し、そのために生き抜いていただきたいと思う。
大和の地に降りた神の子たちよ。
大いなる理想を持ち、大いなる気高い夢を持ち、そなたたちの魂の力を炸裂し、本来持てる力を最大限に開き、我々天上の者たちの協力を、エネルギーを、そなたたちの力として呼び込み、この地上を、新たな時代をつくっていくために、その生涯をかけてひと働きをし、戦っていただきたいと思う。けっしてそれは間違った道でもなく、そしてそなたたちがその過程におき、あらゆる批判を受けたとしても、嘲笑を受けたとしても、時間が経てば、必ずやその道が間違ったものではなかったと、取るに足らぬ道ではなく、気高い道であったということが、こちらの世界に戻ってきてからわかるかもしれぬ。だがそれは、そなたたちの永遠の魂の中における素晴らしい勲章となって、満足感となって、幸福感となって、そなたたちの魂と人生を祝福するであろう。
そのような生きざまをしていただきたい。
男性であれ、女性であれ、本来の役割というものがあり、その魂に神が創造の時につくられた、埋め込まれた計り知れない可能性と、力というものがある。それをどうか引き出して、この今の時、打って出るべきときに打って出る。引かぬ時に、引いてはならぬ時には引かぬだけの、そのような気迫を持ち、がんばっていただきたいと思う。
わたくしは、「裏神」と呼ばれてきたけれども、裏神と呼ばれている者たちには裏神と呼ばれている者たちの信じている理念というものがある。
そなたたちは、表の正道の、神法としての理念と、魂から炸裂して出てくる生命エネルギー、これが裏でいうパワーというもの、「気」というものであるが、それを両方使いこなしていけるような、そのような者たちであれ。そのどちらが欠けても、いい仕事はできないのであるとわたしは思う。
ためらうことなく、怖気(おじけ)づくことなく、自らの評価を気にすることなく、命をかけてその時代をその使命の中に駆け抜けていった者たちが、時代の中で綺羅星のごとく輝く。
そのような道を人類は歩んできている。つまらぬ、ケチくさい生き方をするな。大きな意味でそなたたちが何をしなくてはいけないのか。そして、その理念の中だけでなく、何度も言うが、そなたたちの魂の力に気づいていってほしい。自然界から、いくらでも気というエネルギーを使って、そなたたちの魂が望むのであるのならば、自然界のエネルギーをそなたたちの力として、パワーとして役立て、この地上を建国していくエネルギー源にすることができるということ、わたしは繰り返し強調しておきたい。
いつの時代でも、政治家や、さまざまな偉人と呼ばれている者たちは、その力を自らの力として引き寄せることを、そして気高い理想と愛の信念のもとに、無私なる思いで、その力と自らの生涯を使いきった者たちが、英雄と呼ばれている、偉人と呼ばれている、時間の流れの中で残っていった者たちなのである。
ならば、そなたたちも一人ひとりが英雄となっていきなさい。誰が評価せずとも、神の国の英雄となって生きていきなさい。それをけっしておごり高ぶるものであるとか、恥ずかしいことであると思わなくてもよい。自らの気持ちの中で、誇り高い男として、誇り高い女性として、気高く生き抜いていくという、その誇りを、気概を忘れないで生きていっていただきたい。そういう者たちが、この地上から、日本から、世界から、わきあがるように出てきた時、大宇宙のエネルギーをその者たちは引くことをもって、この地上を浄化し、新たなる時代の理念の中に、愛の波動の中に導き出すことができるのである。
他の誰がやってくれるのでもない。地球を清め、地球を浄化し、地球を愛の星にしていくのは、我々地球人であり、地上に生きる神の子たちの使命であるということをわたしは伝えたいと思います。 たいしたことは言えなかったかもしれぬが、我々は常にあなた方の警備をし、魔界の者たちがそなたたちの行く手を阻もうとする時、いち早くそれと対応し、守る役をしている。もし我が地上に肉体を持っていればもっと違う生き方があったであろうが、今地上に肉体がないがゆえに、天上界におき、そなたたちの身辺警護と、このようなメッセージを送ることをもって理想を伝えていく、理念を伝えていくという役割に徹しております。
そなたたちもこちらの世界に戻ってきてから、「ああ、地上にいた時、ああいうことをしておけばよかった。こんなこともできたのに、してこなかった」という後悔だけは、くれぐれも残さぬよう、そなたたち一人ひとりの心に一瞬一瞬という、宝のような時という流れの中で、命をきらめかせ、輝かせ、一瞬一瞬を、男として、女として、勝負していくような、そのような命の燃えたつような生きざまをして、こちらの世界に帰っていただきたいと思う。
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