メッセージ
光一元というのは、闇の部分を思うことなく、ただただ素晴らしき結果を、素晴らしき未来を心に刻み、それを現実においても引き寄せていく。光のみ実在、神のみ実在と信じ、実現していく。そのことを「光一元の思想」と我ら日本神道は 謳(うた)っている。
ただ、その信じている内容が、自らの我(が)のため、自らの驕り高ぶりのため、自己の名誉のため、そのために信じている夢や希望が目的であるのならば、そのようなものは実現しない。そのようなものは光一元の光明思想の中において実現する神のお心とは違うということを、よくよく心に刻んでいただきたいと思う。
あなた方がこれからせねばならぬことは、地上のいかなる迫害にあったとしても、地上のいかなる平均的な者たちが言う常識というものがあったとしても、非常識になれと言うのではなく、ほんとうの意味でこの計画のために、あなた方が本来するべきことに挑戦していただきたいということだ。
日常生活の絶え間ない繰り返しの中で、まず常識的に生きるということは、世間においても、その方の人格を世間の中で表す意味においても、とても大切なことであるということは、わたくしはよく知っている。けっして社会から逸脱した、奇をてらったような行動するということ、そのようなことがわたくしの望みであるというわけではない。
ただ、もうこの期に及び、そなたたちがほんとうに神の子として、真(しん)の、真(まこと)のうずきとなるべき、そのような生き方に忠実に、勇気をもって行動することに踏み切っていただきたいと、わたしはそのように願うのである。
人の評価を気にし、多くの者たちから称賛されたい、この世的に成功していきたい、そのようなものにとらわれた時、神の使者としての使命は、仕事は、多くの挫折を生むことになるのである。
ストイックなまでに純粋に、ただただ光の道を目指し、そなたたちに降ろされた計画を、神の夢をそなたたちの夢として、世間の者たちがどう言おうと、この道に邁進していただきたいと、わたくしはそう思う。
いっときは、もうあらゆる可能性は終わったのであると、一部の者たちは悲観的に考えていたかもしれぬ。
しかれども、そなたたちのような者たちがまだ日本にいる限り、この法のたいまつは、日本からまだまだ発信できるのだと、火種は残っているのであると。
であるのならば、この火種を励まし、風を与え、大きな、また再びたいまつとして、遅ればせながらであっても世界中に広げていくことは可能であると、我は信じて疑わなかった。それもこの「日本」という地から発していくからなればこそ、神が播いてくださったこの大いなる地球救済の大計画、その種がこの日本という大和の地に、光一元の光明思想の地に落ちているということが、けっしてあきらめないという、最後まで神の計画の続行を、成功を信じ続ける者たちの磁場の中にその種が落ちているということを、そなたたちはもっと知らなくてはならない。
我らはあきらめぬ。
この計画のためにどれだけ長き時を、我らはこの大和の地を守り育ててきたことか。
この法の種が落ち、神の大計画により、世界中に天上界の言葉が伝えられ、この地球規模の大救済の時がくるという、その栄光に預かりし地がこの日本列島という、この日本の、大和の地であるということを我は信じて、遥か数千年前、この地に降り立ったのである。
我らのエネルギーを強力に送ることにより、地上にいるそなたたちが命がけでこの計画を実行することを誓ってくれるのなら、我らは地を驚かし、天をも轟(とどろ)かすようなエネルギーをそなたたちに与えよう。
いちばん大切なのは、神の方向を向くということ。
全身全霊をもって神の方向を向くということ。
神の子として生きるということ、それに尽きているということ。
とても簡単なシンプルなことである。それができないから、謹んで天上の神に対して、地上の者たちが謙虚に明るく、おおらかに生きることができぬから、どれだけ難しいことを頭に入れたとしても、救世主自ら失敗するのである。
いちばん大切なこと。それは日本神道が語り伝えてきたこと。大自然と調和し、大自然の中にある、大いなる自然界の循環の中で、すべてが万象、万物が神の子であるという、その大循環の中で、その中に生かされている地上の人間たちも神の子の一部として感謝し、すべての者たちが助け合い、すべての大自然界に感謝し、調和し、みなで手を取り合って、辛いこと、悲しいこと、悲観的なこと、そういうものを考えず、ただただ光を見、ただただ神のほうを向いて生きていこうと、明るく生きていこうと 。
闇の部分がけっしてないと言っているのではない。本来闇なし、と言うけれども、悪なしと言うけれども、その部分がないとは言っていない。
ただ光のほうを見続けることにより、闇も、悪も気にならなくなり、そちらのほうを見て、くよくよしている暇があるのならば、明るい明日を、明るい未来を夢見て、努力して生きていこうではないかというのが、光一元の本来の教えなのである。
神はけっしてそなたたちを罰しない。そして、そなたたちは最も高貴であり、偉大なる一人ひとりが神の子としての本質を持っている。そのことに気づいて、勇気を持って、神の子の本質をきらめかして地上に生きていっていただきたい。そのような者たちが一人、一人と増えていくことが、それこそがこの地上をユートピアにし、地上を天国にするという、その道であるとわたしは思う。
地上の生活の、日常のひとコマひとコマを無視して、この地上に天国はなし得ないとわたしは思う。
まずその前に、一人ひとりの気持ちがいちばん苦しむのは、自分の神の子としての生き方に嘘をついた時から、自分は知っているのにそのような生き方をしているという、そのストレスの中でそなたたちも多くの不幸や苦しみをつくり出しているということ。
ならば、もっと正直に、自分自身の可能性に忠実に生きてみようと、その勇気のある者たちが出てきてくれることをわたしは心から願っている。
誰に強制されたものでもなく、そこに生まれることが最も深い学びであると、そしてそなたたちの仕事を、使命を果たせる場所であると信ずればこそ、そなたたちはそのような肉体と環境を用意してきているのであるということ。
であるならば、ほんとうの真実を知ったのならば、不平不満はなく、ただただ感謝しかないはずである。
「永遠の時の中における魂の目での成長」という視点がないから、今の地上の者たちは、いたずらに悩み、苦しみ、本来価値のあるものを捨て去り、ほんとうに価値のあるものではない、無意味な享楽的なものの中で、出世とか学歴とか、お金とか名誉とか、そういうものに奔走しているのである。 生活を維持する最低限のものは、肉体がある以上は必要ではあるが、それ以上のものを持って人生の喜びとし、価値尺度とし、そしてそちらに向かって大成して、成功していくことのみが人生の成功感覚であると、間違った方向に努力することのみが人生の成功感覚であると、間違った方向に努力する者たちがあとを絶たない。
そのようなものはがらくたであると、そのようなものを手に入れたとて、そなたたちの魂がそれを通すことでほんとうに成長すればよいが、多くの者はそれにより魂を貶(おとし)め、脆弱にしていってしまっているだけであるということも気づかねばならぬ。
地上に降りた今の時は、あとで取り戻したくても取り戻せないほど、貴重な時の価値を持っている。今できることを、永遠の魂の中で、地上で修行できる時は、ほんとうにわずかな時である。わたしにしても、天照大神にしても、地上で転生している時というのは、ほんとうにわずかな時である。
であるならば、そなたたちにおいても同じなのである。長い長い永遠の魂の中で、そなたたちが今この地上に肉体を持ち、自らの魂を成長し、進化させ、学べ、そして多くの者たちのために、そしてそれ以上に神の使者として天上界の意向を受け、その仕事ができる幸せに浴している、そのような貴重な瞬間は、これからの転生の中でも、そうはないかもしれない。
それにしても、この地上の時の一瞬一瞬は、黄金でできた時のような意味を持つ。その時に「無駄な生き方をするな」とわたしは言いたい。ほんとうにあっという間の数十年であるとわたしは思う。
毎日毎日が平凡なことの繰り返しであり、また今日のように明日が、明日の次に明後日が、一年後が、十年後が、永遠に続くかのように、そなたたちはこの地上の時を生きているかもしれぬ。
でも、そうではないということ。いつか必ずや「死」というものが訪れ、そなたたちは地上の仲間たちから、家族から別れて我々の世界に帰ってくる。それはすべての者において平等であり、ひとつの真実として、システムとしてあるということ。
であるならば、残された黄金の時を、月日をどうやってそなたたちは生き抜くか。
今回のように、特に歴史的なターニングポイントにあたるような時代を生きているそなたたちは、この黄金の日々をどうやって生きるか。
世間の者たちの価値尺度に合わせ、そこに恥ずかしくない、そこに成功していくような、そういう生き方をしながら、最後まで生きる、まぁそれもそなたたちの自由かも知れぬ。
でも、その黄金の日々を、先程病気になるというたとえでも話したが、いちばん大事なことは、神の子としての神性、あなたの魂のうずき、それとずれず、ギャップを起こさずに一体となって生きる、そのぐらいのストイックな勇気のある生き方、そのようになった時、本来の神の子としてのあなた方と、地上であなた方が行う、振る舞う行いが一体となる、そのような生き方をしてみせたのが、最近で帰天した中では、マザー・テレサと呼ばれている方がおられるであろう。あの方は、地上に降りた神の子としての彼女の魂と、地上に姿を持っているその肉体の振る舞いが、言動が、すべて一体となった、ずれのない生き方をした方、それがマザー・テレサのような方であったとわたしは思う。
であるならば、そなたたちがそなたたちの光を最大限に発信するには、天上界の意向のために自己を犠牲にして不本意な生き方をするのではなく、そなたたちの神の子としての神性のその「うずき」に、地上の肉体を持ったそなたたちが一体となる努力をして、そなたたちのオリジナルの、そなたたちでしか出せぬエネルギーと愛を地上に広げて、発散して生きて行くこと、発信して生きて行くこと、それこそが最大の神のメッセンジャーへの道であるということを、わたしは言っておきたい。
何かの修行の方法論があるわけではない。仏教ではそのようなものを、いちいち段階をつくっていくが、日本神道では、ただただ自然と一体になることにより、神の子として、神の使者として、大自然に流れる神の愛のエネルギーと一体になることにより、そなたたちが本来の自分の力に気づけよ、本来の愛のエネルギーに気づけよ、そしてその絶対的なる光と愛のエネルギーに忠実に生きることにより、疑いのない神の子としての力を発散し、幸せを多くの人びとにもたらすことのできるような、そして本人も幸せに満ちて生きるような、そのような生き方をせよ。それこそが神が望まれる神の子の姿であり、神がわたしたちに期待されているその姿であると、そのような生き方を一人ひとりがしていった時、この地上は、この地球は、神の国ユートピア、楽園となっていくであろうということを謳ったのが、光一元の、神の子の思想である我らが日本神道の教えにあるのである。
これを我々は世界に広めていきたいと思う。「日本神道」ではなく、「日本」をはずした「神道」と呼ばれているこの光一元の思想。それはけっして無理のない生き方だし、難しいことを知らねばならぬ、論理的なものが入ってなくて、そして特定な難しい肉体行がなくては一部の者たちだけしか悟り得ないような道しかないとか、そういうものではないということ。
大自然から学ぶ謙虚な謙虚な姿があれば、あとはあなた方が持っている力を、あなた方の正直な、嘘のつけない本来の魂に忠実に生きるということが、あなた方を、神の子の道を、そして悟りの道を開いていくのだよ。そしてそれこそが、この地上をシンプルな形で楽園にしていく、天国にしていく姿の道標(みちしるべ)なのだよということを、大自然と一体になることにより教えてきたのがわたしたちの教えでもあったのである。
だから、日本神道はすべてにおいてシンプルであり、多くのものをゴタゴタ使うことを嫌がってきた。そして、大自然の中のすべての生きとし生けるもの、すべてを神の子として讃え合うという、そのような姿をもって教え、我々がすべてそのような大自然から学ぶ姿をもって教えの道に悟れということで、難しい教義を残さなかったのである。
そこに「日本神道」と呼ばれている、光一元の思想の神髄があるのである。まぁ、それ以外のキリスト教には素晴らしい愛の教えがあり、仏教には仏教の教えがあり、それぞれの宗教と呼ばれているものの中には素晴らしい教えがある。そしてそれをまた学ぶために、永遠の転生の中で、そなたたちはいろいろな教えを学んできたはずである。魂の幅を広げていくために、そなたたちは過去世、十分な転生を積んでこられたと思う。
そしてそれが今ひとつとなっていく時、そなたたちが最後の救世の計画を降ろす場所が、この大調和を謳う「和」の国、日本で、この最終的な神の計画が実行されるという、その意味を深く考えなくてはいけない。
様々な宗教が乱立し、様々なイデオロギーが出て、学問や哲学を含めて様々なものが、地上にいる人類たちに提供され、すべてを学び尽くしていった時に、最後にそのすべてを包んでいく、大調和し、神の懐のもとにひとつにまとめあげていく和の心、調和の心、それを神の名のもとにおいて実現する国が、その日本の国であったということ。
その意味を持ちてこの日本という土地を選ばれ、そしてその国民性、国の風土、そしてその個性というものが我々に託されて、日本神道というものをつくってきたのである。それぐらい気が遠くなるほどの長い時を、我々はこの最後の文明における、救世の時のためにこの日本の地を用意してきた。
その思いがあればこそ、けっしてあきらめぬという我々の思いがある。
地上に今生きているそなたたちの努力で、この地球の未来が決まり、そして多くの者たちの、この地球で修行しているこの多くの神の子たちの幸せというもの、幸せな未来というのがかかっているのである。そう思うと、とても苦しいかもしれない。過重な負担だと思われるかもしれないけども、今ここで踏ん張って、この計画が流れ去って壊れてしまうのを引き留め、体当たりで、この一度崩れかけた川の流れを本来の道に戻す者たちが今必要なのである。
その時に、その最先端にあたる者たちは、最も偉大なる常識人となれというふうにそなたたちも学んできたかもしれぬが、時には奇異なことを言うものであると、世間に、家族に後ろ指をさされる者たちもいるかもしれない。
でも、この人類の大いなる文明の中における危機を、体当たりで道を修正することに命をかけてくれる者がいるのであるのならば、どうかそのような世間の評価ではなく、神の目から見た評価に、そしてそなたたちが心の底で、神の子としていちばん知っている本質の、本心の神の子としての気持ちに納得できる生き方をしていただきたいと思う。
それぐらい今あなた方の置かれている場所を、今の時代、今あなた方のいるということは、大切な大切な意味を持った人生の時であるということ。そのような歴史的な瞬間に今、命を持っているあなた方であるということに気づいていただきたいと思う。
日本神道は日本神道としての教えがあります。まだ教えを出していない者たちもいるでしょう。
でも、いちばん大事なことは、けっして難解な法を説くのではなく、まずこの素朴な「和心(わごころ)」と申しますか、日本の中における大調和の思い、神の子としての誇り、勇気、明るさ、それを多くの人びとに伝えていくということ。それこそが神の子としての原点であり、その神の子としての原点を忠実に生きるためにこそ勇気が必要であるという、それに尽きている。子供でもわかることであるとわたくしは思うのです。
それをどうか伝えていただきたい。
あなた方お一人お一人の言葉で伝えていただきたい。
誰が言ったからではなく、それをしっかりと心に受け止めたのならば、そなたたちの言葉で語れるはず。そなたたちの個性を通し、そなたたちの職場、家庭、社会における発信をしていただくことにより、世の中は確実に変わっていくのです。
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