スピリチュアル・メッセージ

一人ひとりの幸せこそすべての原点

西郷隆盛 2005年4月16日の霊言

西郷隆盛

紹介動画

あんたはわしのことを、とても買いかぶっておられるようですが、おいはそんなたいしたこと、できる人間ではありません。

その後に、今、あなたがたがおっしゃられたように、「人間的な魅力がある」とか、「人気がある」とか、そのようなことを申されるのを聞くと、とても恥ずかしいかです。

でも、もしおいが少しでも日本のために、あの時代のためにと思って、頑張ったことが、これから未来の日本をつくられる、いやー、世界をつくられるあんたらのために少しでもなるなら、私は少しでも話してみようと思います。

もう、言うべきことは今までの、維新で偉い方がた、たくさん出ちょりますから、おいが話すことはないと思うんだけど、でも、ひとつ伝えたいことは、どんな政治でも、どんなすばらしい社会にしたいと思っても、その一人ひとり、つくってる、構成してるメンバーは、みんなあったたかハートを持った人間たちだっちゅうことです。

どんなに世の中を新しくしても、どんなに政治機構を立派にしても、憲法を立派にしても、そこに暮らすのは、人情あふれた、人としての幸せを、不幸というものを、いつもかかえちょる人間たちばいうことです。

そこの視点を忘れて、社会だけを改革すればとか、政治倫理だけで、イデオロギーだけで、社会を変えていこうと思っても、肝心な、一人ひとりの人間たちが取り残されてしまうなら、それは少しも一人ひとりの人間たち、人民を幸せにするということにはならんと、おいは思ちょります。

だから、常に周りにいる普通の、当たり前の人たちの幸せばちゅうことを、おいは考えちょりました。

「この人たちがどうしたら幸せになれるか」、「どうしたらこの人たちを、世界の流れの中で、一人前の国の中で、一人前に生きていける・・・。ほかの国に支配されることなく、当たり前の、おてんとさまのもとで暮らせる幸せを、この人たちに与えることができるか」、そういうことばばかり考えちょりました。

おいはあまり頭よくないから、そりゃあいろんなことをやりました。明治維新の政府や、いろんな方たちとの交渉もしたけれども、でもいちばん、おいが考えていたことはそこです。

薩摩の国ば、知っちょりますでしょうか。あそこは暑い国です。なんにもなかとです。さつまいもくらいしかなくて、いっつもシラス台地の中で、人びとは、わずかな魚と、さつまいもと、ひっからびた土地に生えるまずい米ば、食っちょります。

でも、陽気で、芯のある人たちでした。人情厚か人たちでした。誇り高き人たちでした。その彼らを見て、おいは「なんとかこの薩摩で、人びとが幸せに暮らせる道はないか」と、考えちょりました。

でも、もしほかの藩からの・・・、島津、薩摩というところはやはり、徳川の、江戸の幕府から見たら、遠かったから、ひじょうに自由な気風ありましたけど、でもやはり干渉が強くて、数々の悲劇もあったとです。

ですから、本当の意味で人びとが自由に、素朴に、人間として幸せに生きられる暮らしはないかっちゅうことを、実はおいはずぅーっと、思っとりました。


それにはまず、国の体制を整えなかいかんと、思ったとです。そのために、おいは中央に出てったとです。そうでなければ、おいは出ませんでした。

国を愛しとりました。でも、薩摩の国を愛するということは日本の国を愛するっちゅうことでした。そして日本を愛するちゅうことは、この地球を愛するっちゅうことにつながるんではないかと、おいは考えちょります、今は。

どうかそこのとこを、あんた方にお願いしたいと、思うちょります。みんなもう、言われたと思うけど、明治維新というのは、今日(こんにち)のこの計画のためにあったとです。あんたたちがやってくださることを夢見て、おいたちはいろんな国に散らばり、それぞれの夢を抱えて、今日の日本につながるために、この国を整えた連中なんです。そのことを思うと、おいは失敗してしまったことたくさんあるけど、でも、本来の天上界での仲間たちと、精一杯のことやれたと思うちょります。

おいの名前なんか、どうでもよかとです。残らなくてもよかったとです。そんなことじゃなかったとです。おいは周りにいる人たちを、とにかく幸せに、生きる道をつけたかったとです。

歴史の中でいろいろなことあったというのはわかるけども、あの時は、今あなたたちが思っている以上に、もっともっと、おいたちは重大なことのように思って、必死に頑張ったとです。
(中略)
どの国にも、どんな時代にも、生きる人間というものは同じなんです。幸せなんて、不幸せなんていうものは、そんなに贅沢なもんじゃなかと、おいは思うちょります。

平和な、安定したところで、ほんとうの意味での誠(まこと)ある生き方を、おてんとうさまのもとで、精一杯誠実に生きるっちゅうことが、私たち人間の、神の子の幸せばっちゅう思うちょります。その一人ひとりの喜び、悲しみ、苦しみ、そういうもの抜きにして、この地球の政治も、体制も、ましてや憲法だの、そういうものもなかと、おいは思ちょります。憲法なんぞというものは、ひとつの法律ですから、そこに住む者たちの認識が変われば、いくらでも変わっていくものば、っちゅう思ちょります。

今、革命的な大転換が起きようという時になっちょります。でも、いつもだいじにしなければいけないのは、どんなに偉い人であろうと、どんなに・・・、民百姓であろうと、おてんとうさまのもとで、おいしい飯(めし)ばいっぱい食べて、互いに信頼し合って、愛し合って、信義のもとに手を組み合って、酒酌(く)み交(か)わして、「よかったなぁー」と、肩を叩き合って生きる。そこに幸せば尽きちょると、おいは思うとです。

どんなに科学文明が発達しようと、どんなにすばらしい政治体制や、どんなに近代的なビルが並ぼうと・・・、それについていかなくて、ほかの国の属国になるようなことになってば、それはさっきのような平和は保たれないけども、最後は神様のおつくりになったこの地球の中で、この大自然とともに、共存して生きていく中において、一人ひとりばの心の中におかれる安らぎと、信頼と、愛し合う気持ち、その気持ちばだいじにしながら、一人ひとりが幸せばかみしめて生きるっちゅうことが、それが憲法に唱われてこそ、その自由意志ちゅうばものを、一人ひとりの心の中で、国が、組織が、体制が、保証できた時に、一人ひとりば幸せばなると思うちょります。

どんなに経済的なもの、どんなに権力志向的なものを均等配分したところで、人びとの心が幸せになることはないと思うちょります。

そのようなものにこだわること自体・・・。そしてもし、そのようなものが欲しいのならば、神さん、保証しておられる自由意志ばちゅうものに応じて、一人ひとりが必死に努力して、手に入れればいいとです。欲しいもんだけがそんなもん、一生懸命努力すればいいとです。

でも、多くの者たちは、何も末は大臣さまにならなくたって、博士さまにならなくったって、かまわないで、幸せに生きたいと思う者のほうが大半なんではないかと、おいは思うちょります。

おてんとうさまのもとで、のびのびと、「今年の米ば、豊作だったなぁー」と言い合って、お茶飲んで、おはぎ食って、幸せに肩叩き合って、娘の嫁入り喜んで、孫のかわいさ喜んで生きる者たちの、そのような天国的な世界がこの地上に広がることば、おいはいちばんの地上天国だっちゅう思うとります。

その一人ひとりの情というか、その思いというか、そういうものを天下国家のためといって押しつぶし、国家大義のためといって、一人ひとりの幸福感をつぶしていくような、そういうもんはおいの幸福感の中にはないとです。

だから最後、ああいう結末になったかもしれん。「西郷は情に流されてばかな男だった」と言われてるかもしれないけど、でも、おいはかまわないとです。人にどうこう言われるためにおいは生きたんじゃなかとです。

どうしたら人に・・・、今どう言われているか、おいは知りません、知りたくもないとですが、もしそういうふうに生きるために、どうしたらいいのかっちゅう質問が今あったようですが、龍馬もそうだったと思う、勝さんもそうだったと思う、福澤さんもそうだったと思う、みんな自分自身が周りにどう思われるかなんて、計算して生きるほど器用な連中ではなかったとです。

精一杯生きたとです。人間というものは、器(うつわ)というものがあるとです。器もあるけど、やはり人間である以上、その時代を生きるという、枠(わく)と枷(かせ)の中を生きとるものです

メッセージの一部を動画で紹介しています

霊人紹介

西郷隆盛

(1827年 - 1877年)

 明治維新における「維新の三傑」のひとり。薩摩藩の代表として、倒幕を成功に導いた以後は、明治政府の要として「廃藩置県」等を断行、日本近代化に貢献した。
 西南戦争にて戦死。そののち、彼を敬い慕う者が生前の言葉、思想などをまとめ上げ、「南洲翁遺訓」という書物に残した。
 死後は、西南戦争で共に闘った若者の多くが、地獄界へ堕ちていることを見過ごせず、自ら地獄へ降りて彼等が成仏するまで説得に当たったという。
 過去世は、旧約聖書の預言者、第二イザヤである。