未来に花咲く法の種
中山みき 2005年6月30日の霊言メッセージ
わたくしは、そのように昔説いた話ということに、あまり関わって解説をしてもしょうがないと思っておりますから、あまりは申しません。ですが、一つだけ申し上げておきたいのは、わたしの時代の中におきましては、民百姓たちが、このような時代の中で、少しでも、少しでも救われたいという風に思う、そういう風な、士農工商のような封建時代というものを越えたその先に、あなた方がこの間録られていた明治維新の方々がおられましたでしょ。あの方たちが出てくるという一連の神さんの世界の、天上界の計画のひとつとして、私も「中山みき」として生まれてきたという、そういう事情があったのです。
江戸末期にわたくしは出ました。取り残された民衆たちに少しでも幸せになっていく道を伝えたかった。そしてその者たちの苦しみが、下から、底辺から上がっていきながら、かつ、組織体制としても、この間言われていた坂本竜馬様とか松陰様とか、いろんな素晴らしい方がたが出て、明治維新やなんかのそういう改革をしていくという、怒涛のような、今日の近代日本につながるというそのようなことの、天上界の計画の一環として、私は先駆けに出たのです。
どうしても男性たちの改革者が出られると、やはり、底辺の者たちを救っていくということは非常に難しいのです。先ず、組織体制の中から変えていくという大改革が行われていく、その時にわたしは出て、神一条の、神一筋のその思いというものを、素朴な、その恵まれぬ民百姓たちの身になって、神の愛というものを伝えていきたいと願い出て、許されて出てった者であるのです。
しかしその後、皆様ご存知かもしれませんが、日本神道というものの流れの中で、神道に属さねば宗教は皆つぶされる、お取りつぶしになるという、そういう戦時国家の流れの体制の中で、わたくしは、大変何度も投獄されましたし、そのような中においても、わたしは神の社となって、その信仰心そのものを、神の地上代行者として、そのままに生き抜いていく姿を見せてこそ、人々はわたしの姿を通して神の存在を感じてくれるのだと、そのように守護霊にも言われましたので、頑張り抜いてあの時代を生き抜いたのです。
わたくしが教えたことは、あなた方が教えられておられることから見たら、本当にわずかなことだし、大したレベルのことではないかもしれないけれども、でも一粒の種蒔かずんば、その後に芽が生えることがないという、偉いイエス・キリスト様のお話もあられるように、わたくしが蒔いた種は、先ほど言いましたけれども、信者と呼ばれるものたちが出るのに、ほんとに長い年月をかけて広がって行ったものなのです。でもわたしは長生きをいたしましたゆえ、その四十から始めて、九十五歳くらいまでの間の流れの中で、人々の気持ちの中で、九十歳までの間の中で、一生懸命生きて、その姿を、神のお社としての姿の模範を見せたつもりでございます。
わたくしが、生前「おぢば」という言葉を申しました。そこは神さんが、神の光が出る、信仰心の中心になる場所であるということを申しました。「おぢば」というのがあるのならば、今はこの日本列島すべてが、「おぢば」でございます。そしてこの「おぢば」より光と放ち、この地球全てを光でくるむために、天上界の神々のご計画はあるのです。
ですから、わたくしはその為にお力添えをできたという喜びをもっておりますので、どうか皆さん方も、みんなで手を取りおおて、わたしが昔申したように、手と手を取りおおて、キリスト教徒も仏教徒も、日本神道も―――、同じ日本に生まれたそういう尊い仲間たちではありませぬか。
どうか皆さんで、わたしが言ったように、手と手を取りおおて、一緒に舞ってみてはいかがでしょうか。
「神様の計画の中で、この素晴らしい最後のこの計画の中で、互いにいがみ合うのではなく、互いに素晴らしい個性を生かし合うことで、そして男女が共に尊重し合う中で、神さんの喜ばれる、苦楽のない素晴らしい大調和の世の中をつくろうよ、喜びに満ちて一緒に歌おうよ、一緒に踊ろうよ」と私が申したのでございます。今の、「宗教」と呼ばれてるものも数々の苦しみがあり、数々の分裂があったのです。そして確かに、日本神道の流れの中に統合しようとして、わたくしの教えも弾圧を受けたということを、よくよく知っておるのです。でも、日本神道の神さん方も、やはりこの日本という場所を預かり、この日本という場所の磁場を大事にしながら、神の国土へ、なさって、努力なさられてきたということなのです。
ですから、江戸時代のあの時代の、民百姓たちの狭い狭い世界の中では、あのようなことは大事であったけれども、今それをもっと広げてみるのならば、いろいろな宗教がこの日本には混在して、共にひしめきあっているように思うかもしれないけれど、でもそれなればこそ、今日レムリアというところで言われている、万教帰一と申しましょうか、あらゆる宗教を一度坩堝に投げ込み、一つの世界宗教へと育て上げていく。発信していく。そのような場所として、そのような地盤として、この日本が与えられたからこそ、日本神道、仏教、キリスト教―――、様々な教えがこの日本という小さな小さなお国の中に流れ込んで、その中において、今日全てを見渡しながら、そこで世界宗教への道を歩む大事な地盤というのを、日本神道の神さんがたが、おつくりになられて用意されてきたという、そういう時代背景があったということを、わたしはこちらの天上界の世界に帰ってきてから全てを知って、本当に素晴らしいところに仕事をさせてもろうたんやというふうに、心から感謝しております。
ですからどうか、皆さん方も仲良く手を取りおおて、神さんの計画に頑張っていただきたいと思うのです。
あなた方は非常に知的にも優秀で、本当に難しいことを、難しい難しい法を任されておられる方々です。でもその中におおて、難しいことに走るがあまり、大事な大事な人々の心の調和とか、優しさとか、神様につながる男女の原点というものを、どうかお忘れないようにしていただきたいのです。そこをもって、人々は幸せというもの、感じ取るのです。
多くの方々は、ほとんどの方々が、いくらあなた方の時代にこれだけ学問を受けている方が多くても、やはり認識度においてはあまり高くない方々の方が、一般大衆なのです。一般大衆の神の子たちを、神さんのもとに近づけていける道をつくることが、神様の使者の仕事だと私は思います。
ですから、多くの大衆の人々に対する愛というものは、決して難しい難解な神理ばかりをを述べ立てることでもなく、逆に難しい難解な神理なればこそ、わたくしのように、易しい言葉で、易しい身振り手振りで、歌で、人々の心に伝えていくことが、噛み砕いて幼子に食べさせるように、口の中に含み噛み砕いて母親が食べさせる、わたしらの時代はそういたしました。離乳食などというものがあまりないから。硬いものはみーんな母親たちが口の中で噛んで、やわらかくして食べさせたものなのです。そういう姿を、どうかあなた方も忘れないでいただきたいのです。
あなた方が語っておられる様な神理、今これは大事なことなのです。これだけの最高峰が出る、やっと、時代が来たということ。それだけの学問文化レベルの時代が来たという、そういう知性の頂点を極めてる時代であることを、私もよくよくわかってはおるのです。おりますが、やはりわたしは、取り残されていく、十割のうちの、あなた方のその教えについていけるのが二割の者たちであったとしたなら、取り残された八割の者たちに、あなた方がどうぞその口で咀嚼し噛み砕いて、わかりやすい言葉で伝えていくという道を、どうかどうか忘れないでいただきたいと、そのようにお願いしたいので今日は参りました。
あなた方が今おられている、書籍を編纂されるということ。それはほんにほんに素晴らしいことだとわたしは思います。というのは、私の時代にもし文字が書けたのなら、もし書物が書ける者たちがおったのならば、そうであったのならば、どれだけ教義というものも歪まず、ちゃーんと正確に伝えられたことでしょう。でもやはり、多くの者たちは文字が読めず、多くの者たちには、たとえわたくしが書いたとしても、やはり読みこなせるものたちが少ないし、難しいことを言ってもわからないし、だからやはり口で伝えていくことが大事であったという時代なのです。
そして出版技術というものも、今日ほどそのようになかったから、全て手書きでございました。あなた方の時代はわたくしたちの時代に比べたのならば、遥かに恵まれた時代であること。その為に、この間から、お出になられておられる明治維新の志士の方々のお話があったのやと思います。あなた方が、その時代の彼らのご苦労を通ってきたればこそ、今、今日のような言論の自由とか、自由なぞという言葉は我々の時代にはなかったのです。でもあなた方には言論の自由もあるし、人権というものもちゃーんと保障されてる時代に生きておられます。出版の自由もございますし、そのような技術というものが、もう普及してる時代に生きておられます。そして、信教の自由、宗教の自由というものがおありでしょう。
わたしたちの時には、自分の信じてる神さんの名を唱えただけで、神道の国粋主義の神様の名前を唱えないと、神道の名前を言わんと、それだけでわたしたちは牢屋に入れられたのです。その教えを曲げるまで、何日も何日も冷たい牢に入れられ、拷問を受けていったのです。ですから、その中で何度投獄されても、わたしは教えを変えませんでした。そのような戦いの中で、わたしたちは神一条、神一筋に生きることだけを、姿を残すことによって、神様のあり様、神様の教えがここにあるよということを人々に伝えることをもって、その使命としたのです。
ですから、あなた方に申し上げたいのは、私たちの時代、そして竜馬様の時代に見たならば、いろいろと危険なことがあるのは、この間見ていてもわかりますが、わたくしが乗り越えてきたあの時代の苦しみに比べれば、あなた方は非常に、ある意味で安全な恵まれた時代に生きてらっしゃるのだということを理解していただきたいのです。
その時代に生きていたものは、成果としては大したものを残せなかったかもしれない。でもあの時代に生き、あの時代の日本の中で、精一杯生きたものとして、あなた方はあなた方の時代の良さを全てを引き受けて、そしてわたしが背負(しょ)うた使命よりも遥かに大きな使命を背負われようとあなた方はしておられますが、その使命を精一杯しっかりと肩に背負うて、この残りの人生を生ききって、神一筋に生き抜いていただけんもんやろかと思って、わたしは今日お願いに参りました。
あなた様方がやられる以外、今この計画をやられるものはおられません。あなた方が、神一筋の姿を生き切る神の使徒としての姿を、毅然と見せることにより、他の者たちの妨害、他の者たちの揶揄するようなことを、いつの間にか消えていくことでしょう。どのように批判があっても、今あなたたちは座敷牢に入れられるわけでなく、鞭で追われるわけでもなく、刀を持った刺客に追われるわけでなく、単なる言葉の暴力はあるでしょうが、わたしたちの時代にも口さがしく言った者たちはたくさんおります。でも私は、そんなものは何も聞かずほっておきました。逆に、ますます神の国を光らすいい機会であると、逆に言って聞かせたものでございます。あなた方のように、今このように反対者がいて、彼らがいろいろと興味があればこそ、あなた方に興味があればこそ、あのようなことを言うのであるのならば、そのときこそ、毅然として神の使者としての姿を見せられることを、わたくしなぞは望むのです。
数々の歴史の中で、今日の計画が花を開かせるために、それこそ聖徳太子様がお出になられたときから、この日本の国土というものは、ほんとに気が遠くなるくらい昔から天照様たちが、この大和の地というものを預かられて、整えられてこられたのも、今日こそまさにこの仏陀下生のための、世界宗教のために、この地上ユートピアを実現せんがために、仏国土ユートピアを実現せんがための、神さんの天上界の大計画を具現するための地として、この日本、大和の地が選ばれたればこそ、今までの連綿とした歴史の中におられる大人物と呼ばれている方々の、努力と汗と血と涙の歴史があったのでございます。それは今日この場所が、この仏陀再誕の地に選ばれておればこそのことだったのです。ですからそれが、途中で潰えてしまうことのなきよう、あなた方がどうかその神々の夢、神々の夢は、この日本の地を通し、生き抜いてきた数々のものたちの夢でもあります。あなた方が彼らの、実際にこの日本の地に生まれて、戦いながら精一杯この日本の国土を用意してきた者たちの夢を、そして天上界におられる神々の、その神々の計画におかれる、その夢と悲願を、あなた方が今この日本の地に肉体を持って生まれておられるということを通して、あなた方がすべてのものたちの夢を引き継ぐのだと、そのように思われていただきたいのです。
そうであるのならば、あなた方は、この今残りの人生の中において、今出来る計画を、精一杯おやりいただけるということ。そして願わくば、私が教えた者たちがもし聞く機会がございましたら、その者たちがもし我が教えを聞いて、この言葉をわたしの言葉であるともし認めていただけるのならば、わたくしは私の教えた者たちが、この計画の下にまた合流してもらえるのならば、どれだけ嬉しかろうと、どんだけありがたかろうと、思うのでございます。
わたくしが地上で精一杯頑張った人生、そのときに蒔いた種というものが、大いなる時を超えて、神さんの大いなる計画の中に、時代は変われど、次々と我が教えは伝えられて、今日合流すると、もしその姿があったのならば、わたしはどれだけ生まれて頑張ってよかったと、本当にあの時の人生を心から感謝して、神さんにお礼を申し上げたい気持ちになれると思うのです。
ですから、もし、あなた方の中で、私の教えを知って、その上でこの計画に合流し、力を貸していこうと思う方がいたのなら、この中山みきというこの一介の、哀れな普通の平凡な女でございます。普通の女でございます。でも精一杯あの時代を生き抜いた、そういう女でございます。このわたくしの気持ちに免じて、多くの人々が我が教えの中からこの計画に合流し力を貸していただけることを、わたしはお願いしたいと思います。それあってこそ、わが教えも、わが生涯も、真に光るものであり輝くものであるという風に思いたいのです。
わたくしの生涯などは、あなた方のおやりになられることに比べましたらば、ほんとにちっぽけなものやったと思います。でも、ちっぽけやけども、でも、一粒の種でございました。一生懸命一粒の種をまいて、わたくしは帰ってまいりました。あなた方もあなた方の生涯をもって、ご自分の種を蒔いて帰ってきていただきたいのです。あなた方の人生の中で、最大の種をまかれ、精一杯種まきをされてこられたのなら、あなた方の肉体は朽ち果てようとも、人間の肉体などというのは早かれ遅かれ朽ち果て、この世に、天上界に帰ってくるのです。その時に、地上の肉体は朽ち果てようとも、神の使者として、人々の心に落ちた神の言葉の神の種は、信仰の種は芽吹き、時代を越え時代を越え、人々の心の中に世代を乗り越えて、神のお言葉というものが、わたくしたちの思いが、あなた方の思いが、あなた方の人生そのものが、その種の中に込められて、次から次へと時代の中に芽を吹き花を咲かせ、そしてまた種を結び、次の世代の者たちに継承されてくるのです。
それが「法の種」ということでございます。
それが神仏の使者としての使命でございます。
そうやって連綿と神の法の種というものは伝えられ、それが少しずつ少しずつ広がっていきながら、最後は時をかけてこの地球全て日常全てに、神の法の種が人々の心の中に、落ちた神の種、法の種が芽吹き、大きな花、素晴らしい花をそれぞれが咲かせて光り輝く時、人々が神様よりつくられた、個人個人に託された素晴らしき個性を開花し、その法の種を、神の子の神性を通して、その方ならではの、素晴らしい素晴らしい神の子としての花を咲かされ、地上全てが仏国土ユートピア、神の花園となり果てる時が必ずや来ると、わたしは信じております。
それがわたくしが言っておりました陽気の心、陽気の世界、わたくしが、苦楽のない、神仏の喜ばれる神仏と一体となった、陽の気、喜びに満ちた、苦楽のない、陰気なもののない、そういう素晴らしいこの地上ユートピアがなされんのやと、わたしはそこまで言いたかったのでございます。でも、それをするには時代が早すぎた。そして今あなたさん方が、わたしの思いを、わたしがあの時言っても伝わらなかった、わたしが望んでいたものを、今この日本を通して、多くの地上の人々に、神さんのこの法の種を伝えていかれることをもって、あなた方を通してこの地上ユートピアが具現するのであるというこの時が来たのだということ、私は心から感謝し、そしてこの計画のために、少しでもわたくしなどのような者がお役に立てるのなら、いくらでもお役に立たしていただこうと思い、今日飛んでまいったのでございます。
わたくしのような者から見たら、あなた方がおやりになるお仕事は、破格的なスケールのお仕事であるということを、どうか心におとめいただき、今回の人生というものを、どうか大事に、最後の一日、最後の一瞬一秒まで生き抜き光輝かし、あなた方が蒔かれる法は、あなた方の魂の光を帯びた花の種を蒔かれるのですよ。誰が蒔いても同じなのではないのです。中山みきが投げた法の種は、中山みきの心を持ちて、その人生を、法の悟りを持ちて蒔かれた法の種でございます。
であられるのなら、あなた方が精一杯悟られ、精一杯お仕事をなされて、蒔かれられた法の種というものは、あなた方の人生をあなた方の悟りを、全てを含めて色合いをもって次の世代に投げられていく、法の種なのでございます。
ですから、その法の種一粒一粒に、あなた方の魂が込められ次の世代の者たちにつながっていくのだと思って、今のお仕事をなさられ、精一杯の法の種というものを蒔かれていただきたいと思うのでございます。
書籍
タイトル | スピリチュアルメッセージ集49 中山みき |
出版 | きれい・ねっと |
ISBN | ISBN-10: 4434202871, ISBN-13: 978-4434202872 |
価格 | 1,200円(税抜) |
内容 | メッセージ本文とともに、平原春彦氏による解説を収録 収録された霊言をそのまま本文にすると共に、収録に立ち会われた平原春彦氏が霊言ごとに当時の背景の解説、および使われている用語の解説をされています。これにより天上界から降ろされた一つ一つの霊言の意義をより深く理解することができます。 |
購入 | amazon, 取扱書店, ウェブ販売(きれい・ねっと) |
音声CD
タイトル | スピリチュアルメッセージ集49、50 中山みき、エル・ランティ ライブ音声CD |
出版 | きれい・ねっと |
ISBN | ISBN-10: 4434202944, ISBN-13: 978-4434202940 |
価格 | 2,000円(税抜) |
内容 | ライブ音声 今回、書籍に合わせてアマーリエを通して降ろされたライブ音声を収録したCDも同時発売いたします。個人情報等の関係で、人名等に関しましては消去しておりますが、天上界からの霊言をそのまま公開しておりますので、直接、その言霊にふれていただくことができます。 |
購入 | amazon, 取扱書店, ウェブ販売(きれい・ねっと) |
2005年02月24日 ジャンヌ・ダルク 「天上界の扉が開かれた今という時代」
2005年02月26日 ジャンヌ・ダルク 「戦闘系の女性の役割」
2005年07月07日 ヘレン・ケラー 「真の幸せとは」
2005年09月22日 マリア・テレジア 「愛の女神より現代の女性たちへ」
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