メッセージ
現代のヨブとして、あらゆる艱難苦難に対して、身体的なダメージがあったとしても、いかように神の子として光り輝いてみせられるか、輝いてみよという神様からの使命をいただき、わたくしは地上に出てまいりました。
あの時代は、今の時代以上に身体的な、身体障害者と呼ばれている者たちの、世間の見る目は、厳しかったのです。
身障者であった場合は、その子を間引きといって、小さい頃に、産婆さんの手によって、葬むってしまったということも聞いております。そのような子供を受け止めて、共に生きるということが、その土壌として、用意されてない時代であったのです。
身障者として生まれてくる子供達の中には、そのようなハンディキャップを持っているがゆえに、カルマの刈り取りということをもって、今回の人生の中で、大きく過去世のカルマを返してしまおうと、そのような迫害される人生というものを選んでくる場合もあるのです。
そうすれば、一回において転生、二転生、三転生以上のカルマを一時に返せるということがあるのも、また事実であります。
それと同時に、わたくしのように、地上において特別な使命をもって、人間は本来霊的なもの、霊性こそが、神の子としての人間の神性であって、肉体は、そのまとう衣類に過ぎないのであるということを証(あか)しするために、そして、ひとつの時代を切り開くために、身障者にも人権をもたすために、その時代に出てくる場合もあるのです。
それと、もう一つあるのが、やはり自然界ですので、ある程度の事故のようなこともあるのです。偶然のことは何もないのが大体の原則なのですが、やはり、自然界に生まれていく過程においては、やはりハンディキャップというのをトラブルのように、事故のように背負ってしまう場合もあるということも申し上げておきたいと思います。
大体大まかに考えまして、身障者の方の場合は、その三つのパターンのどれかにあてはまると思うのです。
だから多くの場合は、ハンディキャップをもった場合の方におきましては、その人生はすでに用意されているもの。ご本人が納得して、今回の肉体設計を用意されてきた。そしてそれにおいて、受け止めていただける、ご両親、環境というものに対しても用意なさっておられるはずなのです。
ですから、身体障害者をもった、ハンディキャップをもったお子さんや、育てられるお母様お父様は大変なご苦労があるということは、わたくしもよくよく知っておりますが、やはりそれは親子において、そのような了解済みの下で、ともに頑張ることによって、共に互いのカルマを返しあったり、互いにそのような姿をもって、「世の光となろう」と言って出てくる場合もあるということを、そのハンディキャップを持ったというご本人だけではなく、それを受け止められるお母様お父様方、周りの環境の方々に対しても、どうか自覚していただきたいと思うのです。
幸せというのは、決して多くのものを所有したり、決して多くの支配的な地位に立つことをもって幸せとするのではないのです。 自分自身の魂の中にある、神がおつくりになった神の子としての、内的な霊性、スピリチュアルなものの部分が、その魂の部分が、本当の意味で、愛を解き放ち、愛に輝いた人生であったかどうか、そこの一点に尽きているのです。
生まれつきの病に臥せっている者たち、そして生まれつきハンディキャップを持ち、二十年以上生きていけないといわれている身障者の方々もおられるのです。難病の下に生まれてこられる方もおられるのです。そのような方々の人生を、単に不幸であると、そのように定義付けるようなことはできなくなると思うのです。
真に不幸であるとは、愛を知らぬことであります。
真に不幸な人生とは、愛なき人生であります。
愛とは神です。
神とは愛の光です。
神とは、愛を、愛をたたえた、この宇宙の生きとし生ける全てを育まれておられる法則であり、愛のエネルギーなのです。
愛なくして、神の愛なくして、わたくしたちは生きていくことはできません。
であるならば、地上に生まれし時より、神の愛によって、生かされていないものは、ただ一人としていないのです。
なぜなら、わたしたちは全てが神の子であるから。
愛の光を分光されて、つくられし者たちだから。
死というものを暗く悲しいものとして考えてはなりません。わたくしたちの世界から見たのならば、あなた方地上におられる方々の方が、よっぽど重い重い鎖を両手両足に縛られ、目にはアイマスクのようなものをつけられて、本来の世界が見えない、悲しい悲しい姿に見えるのです。
でも、そのアイマスクをどけてください。
手に持ってるその鎖を捨ててごらんなさい。
あなたの目に何が映りますか。
美しい太陽の姿が―――。
美しい星々が―――。
美しい大自然の山が―――。
緑の風のざわめきが―――。
小鳥達のさえずりが―――。
子供たちが無心に遊ぶかわいらしい声が、犬達が猫達が、共にじゃれあう姿が、まだまだ聞こえてくるのがこの地上ではないでしょうか。
それを見ることができ、聞くことができ、触ることができ、その感動の中で、今命を与えられたということを、どうか感謝し、今のときというもの―――、たった数十年の時なのです。
その一日一日のこの大事なときというものを、両手の間からすべて無駄にすることのないように、人生を生きていただきたいと思うのです。
ものに振り回され、人の評判や、世情に流れる多くの情報の中において、自分自身の価値を見失うのではなくて、世界中で、自分にしかない素晴らしい尊き神性と個性を神が与え給うた、素晴らしい神の子である自分自身であるのだと。かけがえのない自分自身の生涯であるのだと思って、その人生と肉体を感謝をもって、周りの方々に、愛と感謝を返して、素晴らしい人生を歩んでいかれて、帰ってきてほしいと思うのです。
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