強い意志、深い智慧、勇気ある愛
大天使ミカエル 2006年7月8日の霊言
わたくしたち、七大天使というのは、それぞれの役割があるというのを、この間、ラファエルも言っていたと思います。ガブリエルも言っていたと思います。
でも、それぞれ、通信伝達、芸術、戦闘系、法の管理、政治、さまざまな担当分野がございますが、わたくしたち七大天使と呼ばれている者たちは、常に神の法というものを、地球的な規模において、神のご意志というものを霊的に、そして、宗教的―――、あなた方の言葉で言うのなら、宗教的な意味において、法というものを通じて、地球上にいる神の子たちの意識のレベル・アップということを考えるためにいるのが、そのチームが七大天使の、わたしたちの使命でもあります。そのための方法論として、芸術とか、さまざまな政治とかがあるのであって、わたくしたちは常に神のご意志というものを、この地上に、この地球に表現するために、神の子として、あなた方、地球人がどのように振る舞うべきか、進化、発展していくべきか、そして、この地球という星を、惑星を、如何に神の愛の修行場としての役割として、ふさわしいものにしていくことができるかということのために、心血を注いでいる者たちであるのです。
ですから、それぞれの専門家、プロフェッショナルと呼ばれている者たちの専門領域というよりは、その使命のためにおける方法、手段としての、それぞれの役割があるということを思わなくてはいけません。ですから、政治とか、そういうものがあったとしても、その政治学における奥義というもの、専門というものを考えるよりも、この地球という惑星が神のご意志の中で、今の時にどのような立場として表現され、神の子たち、地球人たちが、どのように修行するのが、本来ふさわしい姿であるかということ。そのことを、わたしたちは、その手段を地上に降ろすために、そのわたしたちの役割というものを必死に、使命として、神様の手足として地上に伝えるための仕事を、一生懸命励んでいるのです。
それが、もしあなた方が七大天使というものを収録していきたいのであるのならば、そのことをしっかり押さえなくては。単なるそれぞれの専門における、八次元上段階の専門家であるというふうに認識するのであるのならば、それは間違ったものになってしまうということです。
わたくしたちは神の使徒として、この地球を、地球規模の霊的浄化というものを、精神的にも、霊的な意味においても、神のご意志の方向に結びつけていくということ、導いていくということ、霊的に向上させていくということをもって、わたくしたちは、その使命としている。それをエル・ランティの指示のもとに、そして、インマヌエル・イエス・キリストと言われている、すばらしい指導者のもとに集っている、そういうグループ、そのような使命を果たしている者たちが、あなた方が言う「七大天使」という者たちなのです。
ですから、一(いち)キリスト教と呼ばれている、あなた方の宗教、それだけではなく、かつてはイスラムでもあり、そして、モーリャ、モーゼ様と呼ばれておられる方がいるユダヤ教においても、わたくしたちは、一生懸命使命を果たしました。で、今回の文明でもなく、アトランティスにおいても、ムーにおいても、もちろん、レムリアにおいても、それぞれの七大天使という立場、霊的な地球規模的な向上における、神のご意志の反映という部分において、かつての文明においても、わたしたち七人はチームを組んでやってきたということが事実であります。そして、一キリスト教という、その中、範疇の中における、縛られた概念だけで捉えたのであるのならば、我々七人はひじょうに違和感のある者である、ひじょうに限定された者としてのイメージしか、能力しか捉えられなくなるのではないかというふうに、わたくしは思います。当然、過去の文明においても、キリスト教と呼ばれるものはなかったのでありますし、それはその中において、あなた方の知らない役割として、宗教として、それぞれの中で、その時代の者たちを霊的啓発、向上させていったのです。
常にひとびとは自分の、自らの使命により仕事をしていきます。そして、その使命は、各々の個性の能力によって、神より与えられるものなのです。その中において、わたしたちは精一杯の努力をし、そして自らの命というものを輝かすことにより、わたしたちは、その使命というものを地上に降ろし、わたくしたちも感謝のもとに生きているのです。あなた方も、どうか、そうあっていただきたいのです。
今、地獄と呼ばれているものが増大しています。 地獄の中でエネジーを増大させているのは、地上におけるマイナス・エネジーを吸収した魔界の者たちであります。彼らもかつては、わたくしたちの仲間、光の天使、神の子たちでありました。その者たちをどうか救いたいというこの思い。それは、地上の神の子たちの修行を最終的に完結させて、卒業させていきたいという思いと同時に、地獄にいる彼らの、かつての仲間たちも、ともに救い上げていきたいという我々の悲願でもあります。
その時期が、今、もうすぐリミットが来ようとしているということ。そのことを思い、わたくしは必死に、地獄界にいるかつての仲間たちに呼びかけているのです。
あなた方の中で、魔界にいる者たちは、サタンと呼ばれている者たちが特殊な者たちであり、そして自分たちとは違うと思うのであったのならば、それは間違いであると言います。レムリアにおられるあなた方は、もう、わかっておられるでしょう。
でも、これを通して、初めてわたくしの声を聴かれる地上の神の子たちよ、聴いてほしいのです。 魔界にいる者たちであっても、地獄界で今、苦しんでおられる方々であっても、それは誰も変わりのない、あなた方と同じ。みな、かつては地上にいた、神の愛する神の子たち、仲間たちであった、その姿そのものであるのだと。ただただ、その思いを、そして、その使命のあり方というものを履き違え、マイナス・エネジーの虜になってしまった、その揚げ句が今の姿であり、そのような負荷を、そのようなエネジーのもとに苦しまないですんだのが、今のあなた方の姿であるということ。
それはけっして、あなた方が優れていた、彼らが間違っていた―――、間違っていたかも知れないが、劣っていたのではないのだということを。履き違えてはいたかも知れないけれども、彼らは逆に言うと、ほかの人以上に、冷たくなれなかった。ほかの人以上に、自分自身の中における意志というもの、夢というもの、目的というものに固執するがあまり、あなた方のように執着を断てなかったがゆえに、今、あの世界にいる者たちも多いのです。
そして、それが、磁場が磁場を呼び、マイナス・エネジーの虜になり、本人の反省ぐらいでは出て来られない領域に嵌(はま)ってしまっている、そのような地球の地獄界の姿というのがあるのです。一人の者の反省だけでは、なかなか上がって来られないほどの強力なマイナス・エネジーの、今、渦の中に地獄界というのがあるのです。このマイナス・エネジーの渦というものを解放していくために、あなた方に、今、この救世の運動が天上界より降ろされているということです。あなた方地上にいる者たち、神の子たちの修行もあります。愛の修行場としてのレベル・アップ、小学校レベルの卒業、中学校レベルの修行場の開始というものも、確かにあるのです。それは地上の者としての、愛の惑星としてのレベル・アップというものもあるのです。
でも、地獄界というところに堕ちて、長い間、長い間、出て来られない彼らの魂を救うという意味においても、地上を浄化し、何度も言うことですが、マイナス・エネジーに取り巻かれている地上のエネルギーの供給を止めることによって、かつての彼らに、反省をしただけで上がって来られるような、そのような地球というシステムに、もう一度、戻さなくてはなりません。かつての、あなた方の仲間でもある者たちが、幾多、地獄界に堕ちています。そして、その者たちも救われんがために、救われたいがために、地上の者に憑依をしてくるのです。
かつて法を学び、かつて我々七大天使の手足であった、いえ、手足であったと言ったら失礼でしょう。わたしたちに忠誠を誓ってくれた、かつての部下たちの姿も、その中に幾多あるのです。その者たちを救い上げるのは、この今回の救世の運動以外にはないのです。
彼らがどれだけ法に一途であったか。神の法のために一心に生きたいと思ったか、その情熱と一途さというものを、誰よりも、わたくしたちは知っているのです。かつて、ルシフェル、サタンに忠誠を誓っていた者たちの、その一途さを、救世に対する思いを、神に対する愛をあなた方は知っているでしょうか。
わたくしは昨日のことのように覚えている。わたしの部下であった者たちも、幾多、堕ちています。なぜなら、戦闘系である者たちは、紙一重のところで戦っているからです。
そして、ルシフェル―――、ルシフェルのもとに集っていた者たち、部下の多数が地獄界に堕ちています。それはルシフェルがすばらしい男であったからこそ、その彼に忠誠心を誓って、地下に堕ちて行ったのです。愛するがゆえに、その、自らの純粋さゆえに、地下に堕ちて行った者たちがいる。その者たちは今であっても地獄界にいて、その姿を異形な姿に変えようとも、その思いは神の法を求める、一途に求める思いに―――、その思いというもの、それは変わりないということなのです。
ですから、この救世の計画が立ったとき、あなた方のように光から、光の世界からこのように霊言を受けている、このように救世の事業を、仕事をしている、使命を果たしているあなた方を、ある意味で羨ましくてしょうがないのです。というよりは、自分たちの本能がここに引き付けて来るのでしょう。来て、素直に反省して、あなた方の力になれればよいのだけれども、引かれ、引かれ、でも、長い間の習性の中において、あなた方の足を引っ張ることしか、もう、その表現手段を持たぬ彼らは、あなた方のもとに来て、いつの間にか足を引っ張る、そのようなことをしてしまっているのかも知れない。その姿を見ると、かつての者たちの顔が、思いが、純粋さがわかるがゆえに、不憫で、不憫でならないのが、今の私の思いなのです。
彼らに伝えたい。
彼らは聴いているのです。あなた方が今何をしているか、何が始まろうとしているか知っている。 彼らは神の子の本性として、より優れた、かつて、天使であったがゆえに、すべてを理解した上で、神の子としての本心として、その使命を果たしたいという本能的な思いがゆえに、あなた方の周りに集まって来ているのです。
でも、長い、長い間、地獄界の中にいて、彼らが覚えてしまった習性、それはあなた方の行き先を阻み、その使命を挫くことでしか、その表現手段を持たぬ彼らの姿があるのです。
彼らは、なぜそこに、光に集うのか。彼ら自身も理解できていないでしょう。それは誰よりも、かつて優れた光の天使であったがゆえに、光は光のもとに寄るのです。でも、光の天使であったとしても、もう光り方を忘れてしまった。光のもとにいる、集い方を忘れてしまった者は、光を覆う闇として、その前に立ち塞がり、あなた方の行き先を塞ごうとしている。その彼らの不憫さを、わたくしは目(ま)の当たりにしています。
だから、あなた方に、魔界の者が狙っているから気を付けよ、と言うことは簡単であるけれども、毎度毎度のことであるけれども、でも彼らが、全く、もし自分たちだけの我欲のためであるのならば、こんなレムリアや救世運動にばかりに固執することはないでありましょう。あなた方のところから離れて、自分で好き勝手にやればよいはずなのです。世界侵略でもすればよいではないですか。
でも、違うのです。法の、光の柱が立ったときに、本能的に光に吸い寄せられ、そして、今は羽根を、光の羽根ではなく、天使の羽根ではなく、コウモリの羽根に姿を変えてしまった彼らは、光を塞ぐことしか為す術がない。それが今の彼らの姿であるということ。悲しさであるということ。
わたしは、けっしてあなた方に、その深情けや同情してほしいと言っているわけではない。でも、彼らもみんな神の子であったと、かつての、ひじょうに高位霊界の中で、より多くのひとびとを愛さんがために、大いなる使命のもとに、純粋に純粋に、神の使徒として使命を果たしていた光の天使たちであったということを、わたしはあなた方に伝えたいのです。悲しい思いの中で、彼らを見つめている。
あなた方もご苦労であり、あなた方に対して申し訳ない気持ちで一杯だけれども、わたしは彼らをも救いたい。彼らも一緒に連れて行きたいというのが悲願でもあるから、今回の二転、三転している計画の中における、彼らの妨害に対して、はっきりと一刀両断で切り捨てることができないじれったさと、地上の光の天使の、あなた方に対する申し訳なさと、同時でいます。
でも、彼らも救っていくためには、光の天使が本来の光の天使であるという、本来の美しさを彼らに見せて、彼ら自身の改心と、もう一度、神のもとへ帰って来ようという、深い深い決心を、彼らに促す以外、道はないのだということです。
そして、その神のご慈悲による第三の計画というもの、今回の救世の計画というものが、まだ可能性としてある限り、これを絶対に成功させなくてはいけない。成功させることにより、彼らはほんとうの光のもとに帰って行く道というものを、もう一度、見つけ、見い出して来るのです。
今、彼らはその、神の子としての本性において、本能的に光のもとへ集まって来ています。でも、どうしていいかわからず、光を塞ぐ闇になっている。
でも、彼らがほんとうに理解したのならば、彼らの姿は、もう一度、光の天使に戻れるということ。そのための、大きな大きな天上界の愛による大プロジェクトが、この今回の救世の計画であるということ。これを今の時代の中で、理解している者たちはどれだけいることであろう。これだけ言い続けながら、二十数年やってきたけれども、でも、あなた方のような者たちが、これだけ残っているのだから、わたしたちは最後まで、この救世の計画をあきらめず、やり遂げたいと思います。
魔界の者たちを―――、確かに彼らは間違っているし、彼らのやっていることは許せないことも多いのはわかるのです。ひとつのエネルギー磁場をつくってしまっているということも事実なのです。
でも、けっして、彼らが特殊な魂のグループであるのではなく、あなた方であっても、もし、あのような環境に置かれたのならば、あなた方自身も彼らのようになっていたかも知れないよということ。それほどに地上の場は厳しく、かつての地球の歴史は厳しいものであったということ。そのことを思い、どうか、彼らをも強い意志とともに、深い智慧と、勇気ある愛によって、あなた方が、この計画を実行なさる中において、彼ら光の天使も救っていくのだと。あなた方のかつての友人たちであるのだと。そのように思われ、頑張っていただきたいのです。
正邪を分け、二元対立の中で相手を裁くことは、ある意味で簡単かも知れない。でも、今、レムリアでも言うように、かつての時代において正邪と呼ばれていたものを、何が正しくて何が間違っているかということを―――、それは文明によって、時代によって、環境によって違うのです。地球で、今、まかり通っていること、それがほかの惑星において通用するか、いや、地球においてですら、この今の文明、アトランティス、ムー、レムリアでいたときと根本的には変わらないけれども、違う神理というものもあるのです。そのことを思ったのならば、あなた方は、何人(なんびと)たりとも人を裁いてはいけないと思う。そして、かつての友たちが苦しみながら堕ちて行ったことに対して裁くのではなく、それだけ苦しみながら、今もその苦しみの中にあるのだと。そして、かつての愛する仲間たちを救い上げるがために、今、この救世の事業を為しているのであって、けっして魔を魔として、劣悪な者として、怒り、裁き、自分の方が優位に立っていると思って、彼らを排他的に思い、自分たちこそが正義であり、自分たちこそが優位であるというふうに、そのような考え違いをしないでいただきたいと、わたくしは思うのです。
わたしは少なくとも、いつもそう思っています。わたしが、もし、ルシフェルの立場であったのなら、どうだったであろうかと。たまたま、ミカエルはミカエルであったからゆえに、この立場にいるかも知れない。でも、もし、わたしがルシフェルの立場であったのなら、わたしがルシフェル、サタンになっていたかも知れないと思うこともあるのですよ。この地上というものは、それほどに難しいものがある。人の心が慢心、増上慢の心になったときに、我こそが、という思いが究極までいったり、神をも凌ぐほどに我は優秀なりと思ったときにこそ、転落の第一歩が始まっている。自分が優秀であると、光の天使であると、逆に多くのひとびとに対して尊敬され、大いなる実績をもってきたときにこそ、転落の第一歩というのが始まってくるということも事実なのです。そうやって、多くの光の天使たちが堕ちていった。そして、優しいがゆえに、自分の主(あるじ)を、自分が従っていたボスという、主人の天使のことを裏切られずに、ともに堕ちて行った者たちも幾多あります。今回もそのようなことが起きるでしょう。
逆に、わたしは知らない、と。かつての主人であっても間違っているから知らない、と言って、ポンと執着を切った者は、逆に下に堕ちなかったのかも知れない。でも、自分の愛する主人のために、わたしの従っていたマスターのために、共に行こうと言って、地下に堕ちて行った者も、かつて、いるということです。
彼らも、ともに救っていきたいのです。我々、戦闘系―――、正義と、あなた方で言うJUSTICE(ジャスティス)(正義)というものを常に旗印にし、二元対立の中で、常に魔に対して正義というもので、神の正義というものを旗印に、正しい、正しいと言って戦っているのが我々ミカエルたちのような者であると思っておられるかも知れない。
でも、わたしたちの思いは違うのです。彼らを裁く気は少しもない。彼らを、もう一度、神の子の仲間として取り戻したいがゆえに、わたしは、今、戦っているのであると。そして、この第三の計画を進めている原動力になっているのであると、わたくしはあなた方に申し上げたい。
ですから、インマヌエル・イエス・キリストは聖書の中で、こう答えられたはずです。
「汝、如何なるときにも、隣人を裁くことなかれ」と。
それは己自身が、何が正しいか、何が間違っているか、それを知り得るほどに、究極の智慧を持っているわけではなかろうと。あなた方が思っていることは、まだまだ多くの縛り、多くの狭い偏見の中でしか見ていないのだよと。であるのならば、如何なる者たちに対しても、裁く権利はないのだよと、あなた方に伝えておられるのが、インマヌエルの言葉であるのです。
愛とは、そこに究極、尽きているのです。「汝、隣人を裁くことなかれ。汝の隣人をも、敵をも愛せよ。」と言われたその思い。そこに愛は尽きているのです。敵を敵と思うのは、自分よりも劣って間違っていると、そこに判断している自分があるからこそ敵も存在し、そして、隣人に対する思いというのも、裁きというものもできてくるのです。自分が自分が、我は必ず正しいという思いがある。その思いの中に間違いがあるということ。今回の救世運動は教えてくださっているのです。そこまで地球人が進歩していくということ。霊的な向上と、目覚めというものが与えられてくるという、そのような飛躍的なステップが、今回、来るということ。
あなた方は「ステップ・アップ」と言うと、何か、おもしろおかしく、いきなり形状が、地球人の形状が変わるように思われるかも知れない。そうではない。内的な、霊的な目覚めというもの、そういうものをもって、ステップ・アップ、霊的向上、進化、発展というものを通して、わたしたちは「ステップ・アップ」ということを言っているのです。そのような認識の拡大、霊的な目覚め、神の子としての本来の自分自身を再認識するということ。それをもって、今回の救世運動の原点としているということなのです。
そういうことを蔑(ないがし)ろにして、物質的に、霊的な次元における、知的なことの探求だけで―――、そういうことばかりを言っている方たちを見てみなさい。ほんとうの意味で、霊的に、その方々自身が愛の法というものを伝えているか。ほんとうに「神の法」と呼ばれている教えを説いておられるか。単におもしろおかしく、そのような知的好奇心の中でひとびとを啓発して、触発しているだけではないのかということを、わたしは再度、問いたいのです。
地球の霊系団の中において、いちばん大事なことは、霊的な進歩、神の子としての内的な目覚めというもの。そういうものの進化、発展度合いというものが、どこまで愛というものが、その地球人、その惑星の者たちに再認識され、その者たちが霊的な段階にあるかということ。それこそが、いちばんの大事なことなのです。
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