木花開耶媛命
2006年4月1日の霊言
その人生の価値において、「尊し」と魂がされるべきが、本来の姿でもあるのです。
ですから、生まれおちて、親のもとがたまたま王族であったからということだけで、そして親がひとつの労働者階級であったとか、使用人階級であったからといって、その子どもたちまでが、その王族に生まれた子どもたちよりも、魂的にも、人格的にも、劣ったものであるという待遇を受けること自体が、本来野蛮なことであるということです。
その意味においては、神のもとに、すべての者たちが平等であるということ。
そして、自覚と、努力と、そして本人たちが、どれだけ愛の思いで、多くの人びとのために奉仕して、生きていこうかという、その思いが、それが現実の生活の中の豊かさとして実を結んでいってこそ、本来の、ある程度進化した星の生活実態であると思うのです。
(中略)
あなた方一人ひとりが気高い神の子として、宇宙の中心にある、大いなる神と、直接神の子として結びつき、誇り高い神の子として、自分自身の、自分自身でしか与えてもらっていない、格別な、ご自分たちの才能というものを、自由の中で開花させていく。
そういうものを、それぞれが開花させていった、そのような、花園のような社会。それこそがほんとうの自由と、愛に祝福された、神の子、新たな時代をつくっていく国家となり、地球の形態になっていくのです。
一人ひとりが、自分の才能を押し殺しているうちは、神の花園は色とりどりの花によって咲き乱れることはないし、この世は地上の天国にはならないのです。
みんながかけがえのない、すばらしい個性を与えられたということを感謝し、自由の中で、愛の中で、そして多くの人びとの幸せのために自分の命を捧げて生きていくということ。そのことがどれだけ尊い、すばらしいことであるかということを、もう気づく段階に行かなくては――。
(中略)
どの方がたにおいても、王族で生まれることもあれば、平民で出たり、そして、時には乞食のような環境に出たりすることもあるし、五体満足に出たと思えば、体が不遇に出てくる時もあるのです。そのさまざまな体験を通して、人びとは魂を肥やしていくのです。
ですから、そのような環境において、魂自体が、レベルが上であるとか、高潔であるとか、そのようなことをすること自体が、もう間違っているということなのです。
ですから、どれだけ親が優秀であったとしても、生まれおちた以上は、その者の、その魂の修行、魂がどれだけ頑張ったかによって、その魂の修行が始まって、価値が決まるのだということを、しっかりと明記するのが、次の時代の国家形態、社会の価値基準になっていくことでしょう。
どれだけ親が、立派な学校を出て、立派な仕事をしていたとしても、その子どもの魂において、謙虚さと、愛と、そして向上心、努力、進歩していこうという気持ちがないのならば、その者はどれだけ親が立派であったとしても、その者自体は評価されないという、そのような段階に、もう中学校以降の社会ではそうなってくるのです。
そういう意味においては、根本的には身分制度は崩壊させなくては、新たな次の時代は築けないということなのです。
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