メッセージ
古来より大和の民というものは、大和心という調和の中に、大自然の調和の中に、秩序と礼節を持ち、簡素というものを美徳として、その生き方を学んできた者たちなのです。
今日、物質的には、おっしゃられる通り、豊かになったかもしれません。
しかし、心からの礼節というもの、謙虚さに満ちた、神々を敬うという信仰心、そして、日常の中にあまりにも物があうれすぎ、幸せの価値観というものが物質的な豊かさの中にしか見出せないという、哀れな貧しい心の持ち主に、日本という国民たちがなってしまったということを、わたくしは深く憂うものなのでございます。
人が幸せに生きる時、その時に、物というものがたくさんなければ幸せになれないということは、過剰な物質の中でしか己が幸福感というのを見出せないという、そのような間違った心の教え、心の価値観というものが根づいてしまったかのように思われるのです。
日本という、大和というもの、かつての伊勢神宮とか、日本の建築というものをご覧になっていただきたいのです。
大自然の中に育まれ、包まれ、そして、その大自然の美しさを、そのまま木の感触の中で、簡素さの中で、自然と溶け合うという建物、建築様式の中に、自然と一体となって、人間たちも、国民(くにたみ)たちも、その自然の中の一部として、大自然の中に感謝を込めて息づいて生きるという、それが、大和心の信仰心であり、生きざまだったのです。
そこに多くの物はいらないのです。
山に生えている木を切り出し、そこに簡素でシンプルな家を建て、生活調度品の中にもシンプルであり、けっして電化製品とか最先端の機器がなくても、人びとは幸せに暮らしていたのです。
いつからでしょう。幸せというものが、物をたくさん所有するという、所有欲の中でしか見出せなくなってしまったということ。それとともに、人びとは、本来、神に感謝し、自然の中でともに生きるという心の豊かさ、ゆとりというものを、謙虚さというものを、失っていったのでございます。
神々の心というのを常に感じ、そして、神により導かれ、神により降ろされた言葉を、指導者というのが受け入れ、祭政一致の中で日本という国を指導してきた。それが、ある意味でいうと、卑弥呼様やわたくしがやってきたルーツであり、そして、その思いを継いだのが、天皇家という、日本という国が、天皇制という中で流れてきたのだと思うのです。
そのようなかたちで、神に結びついた指導者というものが国民(くにたみ)を治め、そして、神さまのお心といっしょになり、自然に包まれる。
自然というものは神様のお心です、大宇宙の調和の心なのです。
その中に包まれながら、簡素さを持ち、謙虚さと秩序と礼節というものの美徳の中に包まれて、日本人、大和の者たちは幸せに生きてきたのであるのです。これが大和の民の美しさであったのです。
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