質疑応答:鉱物にも魂がありますか
高橋信次 2006年4月8日の霊言
まあ、この手の話というのは、皆さんの中ではわからないって思われる方も多いでしょうけど、基本的に植物、動物、そして人間っていうものがいて、魂がある。そうしたらば、鉱物にだけは、ないっていうふうに、まあ、動かないから思うのかも知れないけれど。植物も足がなくて動かないけど、ちゃんと魂を持って、そこにフェアリーっていう精霊がね、実際、君たちには見えないけれども、いて、その花独自の美しさというものをもって、地上の人たちをね、慰めて、美しいものとして、美を表現するために使命を与えられている。
鉱物というものも、長い長い時、地下に眠りながら、ひとつのバイブレーションというものを貯めて、そこに様々な宝石とか鉱物というものをつくってくるわけだけど、そこにおいて、彼らは積極的な意思というものを表現することは少ないけれども、彼らの個性、意思というものが様々な宝石とか、石炭とかね、地下のいろいろな鉱物、それを使って家を作ったりするようなものがあるわけじゃない? だから、ちゃんとそれに応じて彼らの個性があるということ。個性があって、波動があって、そこにエネルギーが集まって、地下の中で、何万年、何億年ってかけて、つくられるものもあるわけだけど。そういう意味で言うと、時の流れがゆっくりと進んでいるのが、ある意味で言うと、鉱物というものの世界かも知れない。
でも、そこにはちゃんと「魂」というのがあってね。だから、大きな石なんかで出る場合は、小さな石もあるけれども、大きく結晶していく石がある。そして、その大きな石とかで、よくアクセサリーをつくると、とてもいいエネルギーを使う場合もあるけれども、それが、それを所有した人たちが、代々持っていると何か不吉なことがあるとか、よく言うじゃない。
それは、だから、その石自体にひとつの命、石自体にその個性というのが宿っていて―――。
そのエネルギーっていうものはね、あなた方が、まあ、あなた方も、七色のいろいろな個性を持っているわけだけれども、みんな違うわけですよ。みんな、やり方、個性の中で、才能とか、あなた方の力というのが違うから、それが宇宙の波動の中で、どういうふうに感応したらば、あなた方のエネルギーっていうのは増幅するか。その増幅の使命というものも、その鉱物の中にあって、それを見分けるために、様々な鉱石というのがあるから、だから、そういう意味において、自分に合う石というものを見つけていくというのも、宇宙エネルギーをね、自分のエネルギーというものを、開発していく上でも役に立つ。
だから、エジプトの神官とかが、みんな身につけていたっていうのが、宝石の意味でもあるわけで。それは鉱物として、まあ、それは、今、僕が言ったような宝石っていうことだけれども、宝石とかを通して、宝石のエネルギーを通して、人類に対して積極的に助けていこう、力を貸していこう、宇宙のエネルギーを引いていく、その神の子としての、その方のエネルギーを輝かすための役目をしていこうというふうに、そういうふうに思っている。
そういう積極的な意識が何かしらあるから、地中の中で結晶化していくということなのです。
それは、しゃべれないから、動物だって、まあ、心と心が通じるといっても、人間の言葉をしゃべるわけじゃないけども、彼らにだって魂があるっていうことがわかるでしょう。花だって、かわいがって育てれば、きれいな花が咲くじゃない。ね。大きな立派な花が咲くじゃない。そういう意味において、石というものも、命が宿っているということです。
ですから逆に言うと、石を、石というのはひじょうに、人の思いというのを吸収しやすいというところがあるから。だから、逆に言うと、ある特定の人が所有した、ひじょうに強い執着とかが、その石にあると、その石に、その人の、その持ってた人の魂が入るのではなくてね、その人が思ってた石に対する激しい執着とか、あと他の人をひじょうに呪ったり、憎悪していた、人生の想いっていうものがね、その石に、その波動として吸収されちゃう場合がある。
そうすると、誰かをひじょうに恨んで、呪って、亡くなった人、そして、この石を離したくないという執着の塊で死んだ人の場合は、その人の魂が、その石の中に閉じこめられるっていうのではなくて、その方が、生前生きていたときに発した想いとうのが、その石の中に吸収されてしまって、そこに念として結晶してしまう。
だから、その想いが、今度、その石の個性の中に重なって、ひじょうに悪いマイナスの波動を増幅して出すという石になる。だから、別の人の手に渡ったときに、次々と他の人たちが不幸になっていくという、そういうふうな作用があるのが、宝石の意味でもあるわけです。
そこにおいて、まったく、もし、その石というもの自体が、生命波動、それ自体の想い、石としての使命というか、そういうものが、生命活動がなかったとしたら、そのような積極的な障りというのは起こさないということですね。
ですから、自分たちと語れなかったとしても、万物は神の子であり、万物が個性ある波動に満ちた、命あるものだということをお考え頂ければ、鉱物だけのけ者にするというのも、ちょっとかわいそうかなと思います。
あれだけ色とりどりの美しいもの、そして、宝石でなかったとしても、様々な―――。ねえ、結晶していくものとして、家とか、建物の建材に使われるためにできてくる石もあるし。
そして、あれでしょう? 石炭とか、そういうものも結晶化していく鉱物として、人類の役に立ってくれている。化石燃料として役に立つものもあるわけだから。
だから、そういう意味において、ちゃんと意志があって、使命があって、目的があって、魂があって、この地球に、そのひとつの使命があって、結晶化して、物質化して、この三次元に現れているということ。
それを思うと、万物は神の子であるということです。
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