メッセージ
己自身の良心、神の子としての神性、良心に照らし合わせて、悔いがないか。自分自身の中において、ほんとうに悔いのない一生であったか。愛の行いを生きることができたか。
そこをもって、あなた方の神の子としての修行の集大成が行われるということ。
いいですか。今回のテストは、今回の修行は、集大成なのです。
トータルな意味で、愛を学ぶ最終的な試験であるということ。
試験っていうと、また帰りたくなくなっちゃうかも知れないけども、それは別な意味でね、あなた方自身が、自分に課してきた課題であるということだよ。
この地上だけで流されて終わるか、また自分のカルマの癖によって、理念だけで終わってしまうか。
それとも、ほんとうの意味で地上に、三次元に降りたのだから、「自分自身の中における努力の中で、人生光り輝かしていきます。救世運動の中で、大いなる活躍をしていきます」と、約束をして、あなた方は出てきている 。その誓った内容がほんとうになしえるか、行いとしてなしえるかということ。そのことが今、問われているということ。
いいかい。
この今、語っているときから、今日から一日一日も無駄にしないこと。
生きている限り、愛を表現する者であること。
愛すること。
愛というのは理屈ではないということ。
自分の愛する者をトータルに、いいところも悪いところも含めて受け入れて、愛し抜くということ。
これが愛の基本です。
それがわかったのならばね、他の人類、他の国民、他の国の人、他の人種の人、身分が違おうと、知性が違おうと、宗教が違おうと、文化が違おうと、あらゆる人たちに対して、条件づけではない、トータルにありのままのものとして、相手を受け入れ、愛するということを学ぶことができるでしょう。
それを学ぶのが愛なのです。
それが人類にできていなかった。
それを学ぶ段階にきたということ。
ありのままに、ありのままに受け入れていくということ。
そして、ありのままに愛し返していくということ。
ありのままに相手を生かすために頑張るということ。
それをもって愛の摂理というのです。
そうやって、あなた方は大宇宙の神に生かされているのですよ。
そうやって、私たち天上界の者たちに指導されてきたということ。
あなた方の中からまた七次元、八次元と上られて、九次元が出ることを私は期待しています。
この理念の中で無限の努力を積み重ねていくうちに、地球系の九次元が出てくる日も遠くないことだと私は思っている。
他の星では、九次元がどんどん誕生してる星もあるんだよ。
でもあなた方はまだ、地球系でまだ九次元まで行った者はないからね。やはり九次元の者が出てほしいなぁと、私たちは思っている。
九次元になるのは、そんな難しいことじゃないんだ。
愛をちゃんと学んだのなら、愛をこの地上の中で実現することができて、無限の愛を持つということ、無限の愛と赦しを持てるということ。
それが究極の神にいたる道であるということ。
ただ、それを知って行える者であるということ。
それだけなんだよ。
基本的に、専門的な部分で何でもかんでも知っているかというと、そういうわけではない。
愛というのが無限の赦しであるということ。
そして、無限の生かす愛であるということ。
それを理念だけではなくて、実生活の中で生き抜くことができる。生き様として表すことができる。
そうなったときに我々から見たら、ルシフェル、サタンがね、赦せないなんてことはない。
彼もほんとうに、いたずらな、いたずらな、ほんとうにいたずらっ子ないとしい息子でしかないんだよ。私たちから見たらいとしい、いとしい息子。まぁ他の九次元から見てもそうかもしれない。
私にとってみたら、また特にそういうところがある。
ほんとうに中においても、一番できが良かったかもしれない。一番できが良くて、一番きかん気があって、ほんとうに美しい優秀な息子であった。
その息子が一番、父親に刃向かっている姿。
でもだからといって、刃向かって今、そういう姿を変えてるからといって、父親が息子を切るかい?
そんなことはないだろう。
やはり神が永遠の命を与えてくれた以上、私は彼が来るのを待っている。
もう一度父親と呼んでもらえて、いっしょに手を取り合って、彼といっしょにまた歩んでいける日を待っている。
ミカエルも待ってる。
みんな待ってる。
誰も彼を裁かない。
彼がやってることもまた人類にとって、我々にとって大いなる学びであるというふうに思っている。
そういうふうに私は彼を見守っている。
エル・ランティの意識として彼を見守っている。
そういうところがあります。
そこに誰も彼を悪だと決めつけ、悪を赦さないとか、悪いとか、そういうことは思わない。
彼が撹乱しているおかげで、みんなにひじょうにご迷惑をかけているのはわかるけれども、でも、そこからまた学んでいくのも人類の英知のひとつの表れかもしれぬ。
彼によって撹乱されるということは、やはりほんとうの意味で、神理というもの、愛というもの、法というものが、しっかりと根づいていないということかもしれない。
そういうふうにわたくしは思う。
だから、逆に言うと「彼自体のことも、ある意味で素晴らしい教材である」と、マヌ様がおっしゃっていた。
やはり私もそのように思う。
そのように他の九次元の方がたが見てもらえることを、私はとても喜んでいるし、私が連れて来た者として、やはり、ひじょうな責任も感じるけれども、彼のことを逆に、このようなことになってしまったがゆえに、深い深い愛の思いの中で彼を見守って、待って、彼自身を受け入れていきたいという思い 、それは前以上に深いものとして彼に対して、愛の思いが強くなっているのだと私は思う。
だから彼を裁くことなく 、裁くことはたやすい。裁くことは何の意味もなさない。
逆に彼がいてくれたおかげで、私も愛が何であるかということをまた、深く学ぶことができた。
今回の件で、エル・カンタラーも愛というものが何であるかということをほんとうに深く学ばれることでしょう。
だから失敗をするということ、そこの中から一見あなた方の世界から見たら不手際と思われることが出るかもしれない、でもそれも永い永い、永遠の流れにおいたのならば、魂というものの修行の段階であったということ。
ほんとうの意味で学んでいたのならね、たとえばあなたたちがほんとうの意味で高校生になっていたのなら、掛け算九九で間違えろと言っても、間違えられないでしょ。掛け算九九ぐらい誰でも言えるでしょ。
でも掛け算九九で間違えちゃう。それはやはりまだ掛け算九九がほんとうの意味で、ほんとうに二の段から言っても九の段から言ってひっくり返しても、何から言っても言えるようにみんなやるじゃない。小学生だったら、でも2年生だったらできるっていっても、3年生、4年生だとまだときどき間違えちゃうんだよ。
でも中学生高校生大学生になって「掛け算九九間違えろ」って言うほうが土台無理だよっていうぐらいに、こなれてくるでしょ。
それと同じだと思う。ルシファーが、ルシフェルが多少ああいうことを言っても、そのトリックによってかかって、もし人類が文明を失敗してしまうのならば、ほんとうの意味で彼のトリックより成長するぐらいに習熟してなかったということ。
だからもう一度失敗したのならば、「復習をやろうね」と言って、何度でも復習をやってきたのが人類の文明であるということ。
でも、これをほんとうに学んだのならば、やっぱりいつまでも小学校にいてもしょうがないよ。中学校に行こうというのが 、次はもっとピタゴラスの定理だか、二次関数だか、そういうものが出てくるよと、そういうそっちのほうのちょっと数学らしいものにいこうよと、掛け算九九は卒業しようよと、そういう状況かも知れない。
だから、このサタンたちが悪いとか、地獄霊が悪いって 。エネルギー的にもあるんだよ、引っ張られちゃうところはあるけれども、彼らを責めるのではない。
彼らがいるからこそ、自分自身の足腰を鍛えてくれる。
自分自身が、ほんとうにまだ学習していなかったところを気づかせて、自分たちに対して学ばせてくれてると、足腰を強くしてくれるんだというふうに、ほんとうに思って、あなた方は彼らに対して愛の思いで赦してあげて、赦し合いながら、彼らが戻ってくる、愛の中に戻ってくる、光の天使として戻ってきてくれる時を、待とうじゃないか。
それが一切裁かずに、愛とは無限に赦しの中で、受け入れていくということ。
受容していくという、その本来の神の大愛、大いなる愛の中に自分たちが神の光の子として輝く道なんだよ。
けっして人を裁いてはいけない。
裁いたら裁いた物差しで自分が裁かれるとイエス様もおっしゃっている。
裁くのではなくて、彼らの苦しみを、彼らの位置を、そして彼らの今の状況を、ほんとうに理解して、赦して待つということ。
そしてほんとうに彼らの姿が見えてしまったのなら、もう二度とあなた方は彼らのトリックに引っかからないでしょう。
それがわかるくらい学びなさいということなんだ。
それがほんとうに人類の中で学んでいくことができたのならば、ルシファーたちがやることはもう終わっていく。
彼らも反抗できるのは、ほんの一部のものであるということを学んでいくだろう。
そのときに多くの人々が引っかからなくなったのなら、彼らもエネルギーを失って、本来の姿に戻って来てくれるということ。
そのことを私は思っています。
彼らに、地獄界に、無限のエネルギーの供給をしている人類がいる以上、彼ら自体が悟るということは遅れていくということ。
でも、私たち人類一人ひとりがみんな理解して、ほんとうの意味で彼らに対して撹乱されなくて、地獄にエネルギーを送らなくなったときには、私たちはほんとうの意味で神の子として、みんなで上がっていけるということ。
この地上を浄化できるということ。
それをもって仏国土ユートピアの実現ということが叶うということ。
だから「人の心というのはね、エネルギーに満ちているんだよ。人々の心というものがすべてをつくっていくのだよ」ということを、私は生前、言いました。
その言葉、その思いからすべてが発するということ。
思いを変えなければ、愛のチャンネルに変えていかなければ、この地上の闇は、地上の闘争と殺戮の歴史というものは永遠になくならないということ。
思いからすべてが始まる。
個人個人の思いから、愛の思いに覚悟を決めるということから、すべての人類全体を変えていく、大ルネッサンス運動の幕開けになるということ。
そのことをもって我々は、九次元からひとつの根本理念というものを、愛を中心にして降ろしているということ。
そのことにおいて、九次元がたとえ、いろんな人びとが代わったとしても、九次元が代わったとしても、基本的に我々が伝えることはここに尽きているのです。
それがさまざまな人生の中に、教えの中に応用されていくだけということ。
書籍・CD
関連メッセージ
- 1998.04.24 高橋信次
- 2003.04.04 高橋信次
- 2003.05.20 高橋信次
- 2003.06.21 高橋信次
- 2004.08.20 高橋信次
- 2004.10.16 高橋信次
- 2004.11.25 高橋信次
- 2005.01.29 高橋信次
- 2005.02.15 エル・ランティ
- 2005.03.17 高橋信次
- 2005.06.18 高橋信次
- 2005.06.25 高橋信次
- 2005.10.15 高橋信次
- 2005.10.27 高橋信次
- 2006.01.14 高橋信次
- 2006.02.09 高橋信次
- 2006.03.04 高橋信次
- 2006.03.11 高橋信次
- 2006.04.08 高橋信次
- 2006.08.26 高橋信次
- 2007.01.06 高橋信次
- 2007.04.28 高橋信次
- 2008.08.23 高橋信次