メッセージ
法というものはね、あなたたち、勘違いしちゃいけないんですよ。神理というものはね、頭で考えるもんじゃあないんですよ。神理というものは頭じゃない、心で聞くものなんです。
心で聞いて、心で受け止めて、自分の人生をかけて、それを自分の心の奥底の腑に落とすんです。
そして、その波動の中で、自分自身の中にもう埋め込まれた、神の子としての神性を揺さぶり起こし、自分自身でしかない、素晴らしい宝の、あなた方自身のかけがえのない命を輝かし出す、そのことにこそ、ほんとうの意味がある。そのためのお手伝いをするために我々は、救世運動を起こしているんです。
その時代、その時代、その文明、その文明、そして、惑星によって多少の神理の内容の違いはあるんです。その個性はあるんです。その時代によって何をよしとしたかは、その時代によってみんなそれぞれにあるんです。その違いを表にしてあげつらっても何の意味もないということ。
それは宇宙を貫いて、それはどんなに多少その細かい神理の違いがあったとしても、いいかい、神の波動、神の子としての波動、それはひとつのリズムをもって、波動の流れをもって、神の子たちに、津々浦々、小さな地球の深い海の中 、マヌ様そんな言い方してたよね。深海の中の魚にも、そして鉱物にも、植物にも、動物たちにも、もちろん人間であるあなた方にも、地球だけじゃないよ、他の惑星にも、他の宇宙のものたちすべての中に、ひとつのバイブレーションとして、リズムとして、神の子としての流れが、みんな共通に入っているということ。
それが宇宙を、すべてを根本で貫いている、神とは愛の波動、愛の奔流であると、圧倒的な愛のエネルギーであるということをアモール様から、あなたたち習ったでしょう?
その波動は何を表すかというと、小宇宙だけではない、大宇宙を通して、地球もすべて通して、その愛の波動、愛の圧倒的な旋律の流れというのが、神の体そのものの血液であるということなんだよ。
その波動にあなた方が感応しなさいということです。心で受け止めて、心からあなた方が神の子であるということを受け入れていったときに、あなた方の中に本来の智慧というものが全部入っている、その智慧ある愛の波動というものが出てくる。
だから、それを箇条書きにして、他の仏陀から、メシアから、聞く必要はある意味ではないんです。おおまかなことは必要ですよ。だからその時代の神理として、私たちは出しているんです。
でも、その細かいことよりも、多くの人たちが、神理を知識としてとらえようとして、心としての成長が、心としての波動が少しも上がらないという、愚をおかしてしまっている場合があるということなんです。でも、そんなものは何にもならない。
魂を成長させるには、神理というものは、神の波動というものは、ハートで聞くということ、神の子の心で聞くということ。
心というのは智も表すし、文証、理証、現証ということを私はねぇ、生前言ったけれども、やっぱり、文証としての知識も必要だけれども、現証としての感性としても必要だし、理証としての科学的な裏づけというものも全部必要。そのトータルの五感のすべてを通して神理というもの、神というものと対峙しなさいということなんです。
ですから、智だけで偏ってしまっていく者は、ある意味でひじょうに今の時代がね、アトランティスの末期と同じで、智に偏りすぎてる時代だから、逆に言うと、心で、ハートで神と出会えるってことを忘れてしまっている人が、多いということなんだ。
でも、悟性というものは、魂の悟りというものは、ある意味でいうと感性というものが、神の子としての感性というものが、鈍っている者にはたどり着けない道であるということ。
知識からたどり着いていく道もあるけれども、知識で悟ったのなら、それを心に落としなさい。落としていく中に、よりたくさん蓄えてきた知識というものがますますと花を開かせ、多くの役に立つ道というものも現していくでしょう。
でも、知識だけを頭に詰め込んで、心の中で自分が神の子であるということ、神の子の神性を持っている存在であるということを忘れてしまったのならば、あなた方は、神理の使徒としての仕事は何もできないということ。そんな書籍のようなものをたくさん頭の中に詰め込んだ、それだけが神理の使徒であると思ってしまってはいけないよ、ということを僕は言っている。
僕はそれほど生前言ったときに、頭がそれほどきれるほうではなかったから、ありがたいことにそういうところには落ちないで、自分の中で、わかることをもっと勉強してから言えばよかったなと思うことを、ひじょうに大まかに言ったために、あとで混乱が起きて反省しているほうです。「もうちょっと勉強しなさい」と、逆に他の指導霊に注意を受けたくらいですから。勉強するということも大事なことはわかっている。
でも、その後のね、流れを見ててね、どうしても智で偏りすぎたものというものは、肝心な神理というもの、神の子としての神性というもの、自分が何のために出てきた光の天使なのかということを忘れてしまってはいけないよ、ということを僕はあなた方に伝えたいと思うんです。
だから、書籍を読んでもね、いろいろ覚えていることもあるでしょう。それが、神理の理解、時代の理解、自分たちの救世運動の理解として、どういうことか、また新たな神理というものは、宇宙を見ていく意味において目を開いてくれる、大きなビジョンを見せてくれるという意味での神理というものは、ひじょうに、レムリアも通してたくさん与えられていると思います。
でも、それ以上に大事なのはね、この我々が天上界から送ってくる、この波動の中で、あなた方、すべてもれなく神の子であるという、自らを信じて、自らの中にある、その神の子のエネルギーに感応して、あなた方自身の本来の力を出していく、それをもっと勇気をもって、輝いてほしい。
そうやってあなた方自身が、神の子としての本来に戻っていったのならば、この地球中の人たちがそういうふうに戻っていったのならば、戦争なんか起きないんだよ。
理屈でいったならば「ああだ、こうだ」と、みんなそれぞれの立場の者たちがあって、理論闘争するでしょ? 理屈、理論で言い合いをすると思う。みんなそれぞれの言い分というのはあるんです。どこの国でも、どの理論においてもあるんです。でも、みんな共通として、神の子であるというかけがえのない神性というものがある。その前には、あらゆる理屈はなりを潜めてしまうようなものがあるんです。
その神理というものの、大事なバイブレーションというものを、あなた方のこのレムリアの書籍、そしてレムリアのCD、そして、これからくるホームページですか? そういうものを通して、これを開けた人たちが何か違うと思わすような、これこそ神の、懐かしい、懐かしい神様からの響きであると思わすようなものをどうか、この地上に出していっていただきたいと思うんです。
そのために、今は法を中心とした、原点とした、まぁあの仏陀系の方たちと、それに対する、それを広げる方たちが今、あなた方来ていらっしゃるけれども、これから先ね、これを文化の面でやっていく芸術家集団とか、それとあと、職業においていろいろもっと具体的に社会に展開していく方たちというのが出てくるんですよ。
彼らは理論的な法っていうものを、根本的にまとめる力というのは、あまりないんです。ただ、その聞いたことを、そしてそれによって受けたものを、自分の神の子としての感性とかに響かすことによって、天上界のバイブレーションのこもった作品というものを、打ち出していくことができる。それで地上を彩っていくことにより、それを見た人たちがまた、神の波動というものにチャンネルを合わすことができやすくなってくるという、そういう意味での、神理の文化の発展というものですか、そういう時代がもうすぐ 、まぁこれは今年やることではないけども、来年以降出てくるという、その先が出てくるために、今のこれからの一年間があるということ。それをあなた方にお伝えしたくて今日きています。
あなた方自体で、知識でどうあるべしということよりも、それだけが一番尊いのだったら、Oさんが何でもやっていると思うんだ。知識だけで頭に入っていたから、世の中、世界を変えていけるならば、もうとっくにこの地上はユートピアになってたかもしれない。でも、あれだけ神理の知識をたくさん知ってた人がどうしたかというと、一番簡単な、心のエアポケットに落ちてしまったんだよね。
要は、心というもの、心をチューニングして生きる、神の子としての波動に常に合わせて生きるということが、どれだけ難しいかということ。
どれだけ最高度の神理知識を頭に詰め込んでいたとしても、神の子としての神性に魂がチューニングできていなければ、光の使徒としては失格になるということ。そのことをあなた方はしっかり学ばなくてはいけないと思うよ。
だから、けっこう巫女さんとか呼ばれている人たちというのは、あまり難しいことを言うのを嫌うんです。それは、難しい理屈ばかり入れてしまうと、素のままで、神様の前に立って受け取ることができなくなる。理屈ばっかりでやると、こういうオープンな感性というのはなくなるんです。
あなた方も、ほら、イエス様がおっしゃったように「幼子のようになりなさい。天国はそういう者たちの国である」ということをおっしゃっているでしょう?
それはどういうことかっていうと、自分で努力精進し、いっぱいいろんなものを詰め込んできた、それを一度脇において、ほんとうの意味で素直な、無垢な、純粋な気持ちになって、裸の自分になって、神様の前に立ってごらん、ということを言っているんです。裸の自分になった時に、神様の前に立てるか? その気持ちです。
自分をいろいろなもので囲ったり、他の人から見てどうのこうのという比較の中で、自分をすごくいじめたりとか、そういうものをいっぱいつけていると、裸の気持ちで神様の前ではいられない。神様は全部見ているということ。
こういう霊的なことをやる人は、それこそお風呂に入ってても、何やってても、私たちから声が聞こえるから、もうそれこそ隠し立てができないって観念してますけどね。あなた方は、神理を学んだのが長い割りにね、僕たちがいつでもあなた方のことをみんな見てるんだよってことを、けっこう実感としてわかっていない人たちがいる。そうでしょう?
でも、それは怖いことでもなんでもなくて、裁いているんでも何でもないんだよ。人間だもん、当たり前だよ、と思って見てる。
だけども、ほんとうに神理の使徒として、神の子としての人生を歩みたいのならば、まず、我々と同通できるような、シンプルな無垢さというものを持たなくてはいけない。そこが原点であるということ。
どれだけ高邁な神理というものを、Oさんのように頭に入れておいてもね、無垢な心で神様と向き合っていない人間は、逆に知識のトリックによって、簡単に下のものによって落とされてしまうということ。
それは階段が上がっていけばいくほど、その危険があるということを、僕はあなた方に伝えたいんだよ。
ここまで上がってきた。六合目、七合目、八合目近くまできた。そこへようこそあなた方は優秀についてきて、誤解もなくここまで上がってこられたと、でも、だからこそ、ますます知識においても、理解度においても、悟りにおいても、難度の高いものを要求されてきている。その時に、「原点はここであるよ」ということを僕は言っているんです。
上に行けば行くほど、原点をしっかり忘れちゃあいけないということ。
やれること、自分たちの技能、ものすごくいろいろなものが出てきます。そして人間関係においても、いろいろな対処方法というものを学ばなければいけない。でも、そういうことがたくさん出てくるからこそ、自分が神理の運動をやる、まあ、レムリアの原点として、レムリアのメンバーの原点として、自分はいつも神様と同通し、神様の前に裸でいられるか? 見られてて平気か? この高橋信次があなた方の前に行って、恥ずかしくないかっていうことを常に思って、生きていただきたいと思う。
そうすれば、「何をしなさい」と言わなくても、あなた方の中にある、神の子としての神性が、良心が、あなた方に何をするべきであるかをあなた方に選ばせて、選択していくはずなんだよ。だから、知識と神理というものはそういうものであるということ。
僕が唱えた八正道とかそういうものあるよ。たくさん、いろいろ、転生輪廻とかそういうもの、あの過去世のこととかねぇ、魂分身の理論、いっぱい言ったけども、それは最低限必要なものとしては言ったし、神理として必要なものはたくさんあるけれども、でも、じゃあどうだって言ったらば、それをほんとうに人生の中で生きて、神の子の神性を光らせた者だけが、僕たちの法を聞いて「ほんとうによかった」と言える者たちであるということ。
そうでなければ、ただ図書館に行って、知識をごった煮のように頭に詰め込んできただけのようなものであるのならば、それは神理に触れてよかったのではなく、図書館に行って帰ってきましたっていうだけの、なんら魂においては成長のない、進歩のないという形になって、我々の世界に帰ってこなくてはいけないということなんだよ。
いいかい。だから魂の中に落として、そして自分の魂の喜びをもって、自らの人生というものを、この神理の運動の中に、さっき言った倍率の高い、難度の高いところでこのクジを引き当ててだよ、この日本に来て、このレムリアまで座れるチャンスがあって、来たのならば、自分が神の子として、今回何をしたかったか、みんなそれぞれ計画立ててきてます。その計画に、自分の心に聞けば自分の心が一番よく知っているの、それを自分の心に聞いてね、精一杯、自分の人生の中で何ができるか、選び取って、自分の残された人生の中で、最善の努力をしてがんばっていただきたい。
それをやっていくうちに、一番その人に身についた成長というもの、神理の、神理をメジャーにした、規範にした、その中における一番の魂の進歩というのは、そういうものなんだよ。例えば、前にあったように、初級・中級・上級編とか分けて、テストを受けて、みんなで一律にじゃあ、みんなで中級に「よいしょ」ってあがりましょう、上級にあがりましょう、「よいしょ」って 。それがあなた方ほんとうに、魂がほんとうに進歩する過程にあると思うかい?
みんな転生違うの。みんな転生輪廻違う。みんなカルマ違うよ。そして、みんな素晴らしいいいところが、神様素晴らしい、一人ひとりもれなくみんな違って、素晴らしいところを埋め込んでおつくりになった。
だったら、そんな一律に「よいしょ」って言って、みんなで初級・中級・上級って上がっていけるような、そんな単純なものではないということだよ、魂の進歩というものは。
それは一番自分の人生に密着した、日常に一番地に足を下ろした姿の学習と、体験と挫折と、それを乗り越えていった努力と、そして神理というものを通して、互いに助け合って、感謝し合って、愛し合って、そしてこの地球のために、神のためにって、どんどん意識が広がって、学んでいったときに、一番その人の人生の中でふさわしい段階に応じて、あなた方が学びを進めていくということなんだ。それはある意味でひじょうに個人的なものであるということ。
それは努力を一生懸命すればね、どの道からでも、みんなが九次元に上がってこられるということ。それはみんなが平等であるということだよ。僕たちだけが、九次元にいる十人の者たちだけが、特別に最初からつくられたんじゃないかという質問が、前にあったけれども、そんなことはない。確かに指導霊団というのはいるけれども、それは魂が古い、魂が古い、時間が長いから 。
ただ、何が違ったか。他の時に古くつくられたけど、九次元になっていった者とならなかった者、それはひたすら、ひたむきに自分たちの与えられた使命に対して、努力し続けた者たち、それだけの違いだよ。
みんな平等だよ、神の子は。一生懸命努力して、光のほうへ、神様の方向へ、自分の命を、自分の個性を通して、少しでも多くの人びとを幸せにするために、神の使者としてふさわしい仕事を与えたまえ、と祈って、祈って、祈り続けて、願い続けて自己精進をし続けた者たちが、最後行き着く境地というものが、我々の境地であるということ。
その意味においては、圧倒的に神に対する、まわりの万象万物に対する圧倒的な感謝の思いの中でね、自分が生かされているんだ、自分もなんかお返ししていきたいんだという思いで生きている。そういう境地になったときに、自然にフウフウフウと上に上がっていくというだけのこと。
それにおいてはね、ここの中にいるあなたたち、全部で十二人いるの、十二人の人たちがみんな九次元になってもおかしくないから。
九次元ね、十人じゃ寂しいからね、僕たち。もうちょっといてもいいな、と 。なんかむさ苦しいモーゼみたいなのとかなんか、いかついオヤジみたいなのばっかりがいても面白くないから、女性でもどんどん嫌がらずに九次元きてください。いいよ?、もう、ピチピチした若い女性たちたくさんいてくれたら、九次元楽しいだろうなと思います。下の世界まで降りていかなくてもいい。それぐらいチャンスというのは平等にあるということだよ。
ただ、その意味において一途になれるか、ひたむきになれるか。自分自身の神の子としての神性において、ひたむきでありえたか、それだけの思いだと思うよ。
自分に言い訳をしていたのならば、いくらでも言い訳はできる。この時代も「ああ、仏陀が失敗したんだから、高橋信次が失敗したんだから、しようがないだろう」って言ってたら、言い訳してたら、この時代が潰れていったとしても、「僕の責任じゃない」「私の責任じゃない」ということはいくらでも言える。
でも、言い訳をしないで、最後のチャンス、最後の瞬間まで、自分をつくられ、自分を愛してくださった神様のためにも、そして、自分の同胞たちのためにも、神の子の同胞たちのためにも、できる限りの努力をして、神様の、この神理の運動のために、それは自分自身のために、やれることをやって、人生をまっとうしていきたいと、最後まで言い訳をせずに生きることができたのならば、それは偉大なる奇跡を生んでいく。愛の奇跡を生んで、地球を変えていくことができる。そんな時代に、逆にあなた方は生きているということなの。
そういう計画が発動されていなければ、普通に、地方で、あれだよ、大根つくって終わるかもしれないし、お魚とって一生終わったかもしれない。そういう時代だってあったわけだよ、神理の運動がなければね。
でも、そういう時代に、この日本に出てきたということ。その、あなた方の、その存在すべてが、そのものが、神に対する感謝であってもよいはずだと、僕は思うんだよ。
K会にいた人たち、かつての仏陀の法を聞けた人たち、生前の私の声も聞けた人たち、別に僕の声がいい声だ、えらい声だってわけじゃないけどね。だけども、そういうチャンスっていうのは、転生の中でもほとんどありえないようなチャンスであるということ。
そのチャンスにあなた方は遭遇した、ひじょうに地球規模のね、人類から見ても、ものすごくわずかの、ひと握りにも満たないような人たちであるということ。そしたら、そのチャンスを通して、あなた方がね、もっともっと自分の人生の中で活かして、今生、勝負をかけて生きるということはできるはずだよ。
誰のためでもないよ。誰に言い訳をする必要もないんだよ、自分の人生は。自分の心に、自分の神の子としての気持ちに恥じない気持ちで、今世、納得いくように生きることができたか、その結果だけを持って僕たちの世界に帰ってくるってことなんだ。
そのために私たちは、天上界の波動というものを伝えるために、一生懸命メッセージを伝えている。そして実際に天上界も地上も一体となって、この救世の大計画というのをつくっているから、この計画というのはやはり、天上界と地上とね、いっしょになって力を合わせないと、手を合わせないと、実現できないということ。
だからそのためにこの光のパイプというのをしっかりと今降ろして、メッセージを伝えているから、これに沿うて、あなた方のできる限りの力で、いっしょに、ともに歩んでいただけることを、私はこの一年の始めにお願いをし、そして今まであなた方のレムリアに集った、あなた方から見たのならば、まだレムリアが動き出して、大したこともできていないときにこれだけの動きをしてきたということ。
(中略)
必ずや波動というものは脇にいれば、脇にいる者たちの波動の影響というのは受けるんです。さっきも言ったけど、「波動、波動」っていうのも、波動を共鳴していく、ということです。
それはまず、私たちが天上界の波動をこの霊言を通して降ろしてるということ。書籍を通して降ろしていくということ。そしてあとは、その波動に気づいた、神の子たちのあなた方が、地上に肉体を持ったまま、神の子としての気持ちを、神性を炸裂させて、肉体をもって表現していただきたい。表現していく中で、まわりの者たちがね、自分の本来の神の子としての自分を取り戻していくから。
そして、かけがえのない自分というものを見つけて、表現を始めるから。それが、地球規模に広がった時に、地球ルネッサンスが起きるということ。愛のルネッサンスが起きるということ。それこそが地上天国であり、地上ユートピアであるということ。
イエス様がおっしゃったように、ユートピア論ということはいろいろ言われるけれども、ユートピアというのは、外の体制だけにあるのではないんです。まず、神の王国は心の中に築かれるべきもの。それをイエス様はおっしゃったでしょう。心の中に、神の王国というものは築かれ、そして、それが神の子としての神性を炸裂させてった時に、それがともにみんなひとつなんです。神の子たちはみんなひとつにつながっている、本来。神の細胞であるから、愛の細胞であるから。それが、ひとつが愛の細胞で花を開いたのならば、みんな本来の愛の細胞に共鳴し合って、どんどん、どんどん、素晴らしい神の子としての花を咲かせていく。その者たちが手をとり合っていく。
そうなっていったときに、地球にほんとうの意味での、誰に強制されることもなく、神が本来望まれた、この地球に愛の波動というもの、愛の花が咲く地球というものが実現する。そうしていったときには、互いにいたわり合い、助け合い、愛し合い、神に対する感謝、ともに生きる時代の者たちに対する、仲間たちに対する、心からの感謝というものに裏づけられて、ユートピアというものが、自然に地上に形をもって、中味から外に向かって形というものが実現されて、地球規模のユートピアというものが実現されるということなんです。
まず大事なのは、心で天上界の波動を受け入れ、天上界の波動を受け入れるということは、最初から持っているんだよ、最初から持っている君たちの神の子としてのその神性を、まず表現してみせる、共鳴して打ち出していくということ。そこが原点であるということ。
それができなければ、地上においていかなる憲法や、体制やイデオロギーをもってきても、地上にユートピアは実現しないということ。でも僕が生前言ったように、「仏国土ユートピアを実現するために私は来た」と言ったんです。仏国土ユートピア、まあ、今の言葉で言うなら、地球のユートピアですよね、地上天国です。それを実現するために、私たちは今回大救世運動の計画を立てているんです、天上界で。
そのためにあなた方は「がんばります」と言って地上に出て行ってくれた、光の天使たちであるということ。そのことを思ったのなら、そして我々の、天上界の言葉をCDでもない、生で聞いているあなた方であるのならば、天上界の者たちがどれだけ必死であるかということ、この天上界のバイブレーションというものを、理屈ではなくて、頭ではなくて、あなた方一人ひとりのハートの中にある、その魂に直撃した私の波動を受け止めなさい。
頭ではなくて、魂で受け入れるんです。
そしたらかけがえのない、あなた方の神の子としての素晴らしい思いが、神性がほとばしり出てくるから。
理屈で神をとらえようと思ってはいけない。
心で、自らの神の子の神性で、神を抱きとめなさい。
そしたら、あなた方自身そのものが神となっていくから。
神の子とはそういうことなんです。
神の愛の細胞の一部であるあなた方自身が、親である神と共鳴して、あなた方自身が神そのものの化身になっていくということ。それができるには、我々の言葉をダイレクトに聞くチャンス、そのような波動の場所にいなくてはできないということ。
書籍・CD
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